堺市と関西大は17日、江戸時代前期に建てられた鉄砲の生産現場として全国で唯一現存する市内の鉄砲鍛冶屋敷の古文書を分析した結果、最盛期の年商は約3億円だったと発表した。報告書をまとめた藪田貫・関西大名誉教授(日本近世史)は「鉄砲ビジネスの実態が初めて分かる貴重な史料だ」と話している。 堺で1660年代には鉄砲鍛冶をしていたとされる井上関右衛門家の屋敷に残された2万点…
堺市と関西大は17日、江戸時代前期に建てられた鉄砲の生産現場として全国で唯一現存する市内の鉄砲鍛冶屋敷の古文書を分析した結果、最盛期の年商は約3億円だったと発表した。報告書をまとめた藪田貫・関西大名誉教授(日本近世史)は「鉄砲ビジネスの実態が初めて分かる貴重な史料だ」と話している。 堺で1660年代には鉄砲鍛冶をしていたとされる井上関右衛門家の屋敷に残された2万点…
加藤清正に出兵を命じる豊臣秀吉朱印状(部分)。文書の左端に秀吉の朱印が押されている=愛知県刈谷市の市歴史博物館で2019年3月27日午後5時半、亀井和真撮影 戦国武将の豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、重臣だった加藤清正(1562~1611)に出兵を命じた「朱印状」が愛知県刈谷市の寺で見つかり27日、報道陣に公開された。 市歴史博物館によると、朱印状は縦21・5センチ、横125・5センチ。江戸時代に旧刈谷藩士だった旧家の菩提(ぼだい)寺で発見され、昨秋に同館に寄贈された古文書数百点の一つで軸装されていた。 朝鮮出兵の1592(文禄元)年3月23日、主計頭(かずえのかみ)に任じられていた加藤清正への書状で、「高麗に出陣して陣を固めたら早々に知らせること」と命じている。「異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断はしないように」と念を押しているほか、先に出兵を命じた九州や四国、中国
1989年の平成への改元で、考案者の一人だった目加田(めかだ)誠九州大名誉教授(94年に死去)が生前に残した元号案を推敲(すいこう)したとみられるメモが見つかった。政府の最終案に残った「修文(しゅうぶん)」のほか、「普徳(ふとく)」「靖之(せいし)」など20を超える案が手書きで記されている。最終的に採用されなかったが、政府が現在も公表していない平成の選定過程の一端を示す貴重な史料だ。 目加田氏の自宅があった福岡県大野城市が2011年秋ごろ、遺族から寄贈の相談があった遺品を整理していた際に見つけた。市は目加田氏と親交のあった竹村則行・九州大名誉教授(中国文学)と共同で内容を分析し、筆跡などから目加田氏のメモだと判断した。
【台北・大谷麻由美】台湾の故宮博物院にある貴重な文物の高性能なデジタル映像が、職員2人によって不正に外部に流出し、印刷された本やDVDの形で「複製品」として中国で格安で売られていることが判明した。複製品でも台湾なら500万円近い価格の物もあり、損失は大きい。台北故宮初の職員による「盗難」事件に衝撃が走っている。 台湾メディアによると、流出したのは、清代の康熙帝が作成した明代のチベット語大蔵経の写本「龍蔵経」(1669年)や明代に編さんされた中国最大級の百科事典「永楽大典」(1408年)など多数の映像。作品点数などは明らかになっていない。 龍蔵経は市価161億台湾ドル(約411億円)。台湾で複製本が今年、500組限定で販売された際、1組188万台湾ドル(約480万円)で売られた。中国では約10万台湾ドル(約25万5000円)で売られていた。 台北故宮は龍蔵経などの映像を制作するのに十数年を費
壁枠に塗り込められていた姫路城6階の窓(中央角の柱の左右)。左側は板壁がはめ込まれた状態で、右側は撤去後=兵庫県姫路市で、渕脇直樹撮影 兵庫県姫路市は18日、平成の大修理中の国宝・姫路城の最上層(6階)で、壁の中に塗り込められた窓枠が計8個見つかったと発表した。現状では南・北各面に5個、東・西各面に3個と計16個の窓があるが、新たに各面で2個ずつ確認した。使った跡はなく、築城中に計画を変更したらしい。専門家は「大地震に備えて強度を高めたのではないか」などと推測している。 “幻の窓”は各面の角側にあった。窓の敷居や鴨居(かもい)が、外側は土などで塗り固められ、内側には板壁がはめ込まれていた。高さ1.5メートル、幅1.6メートルで引き違い式と、他の窓と同じ形状だった。敷居は後から取り付けられないことから、24個の窓を設置する設計で着工し、大天守の骨格がほぼ完成したころに16個に変更したと考えら
【メキシコ市・國枝すみれ】メキシコ南部カンペチェ州で、古代マヤ文明の都市国家の一つで西暦250~900年ごろに栄えたとみられるエル・パルマール王朝の遺跡から、マヤ人が表意と表音文字を組み合わせて生み出したマヤ文字が刻まれたピラミッド階段がほぼ完全な状態で見つかった。 マヤ遺跡は公式登録されたものだけで6000を超えるが、マヤ文字の階段を持つピラミッド遺跡は約25しか見つかっておらず、その多くは風化と破壊で判読できなかった。 発見者は米アリゾナ大の考古学者で、エル・パルマール調査団長の塚本憲一郎さん(38)。09年6月にマヤ文字が彫られたブロック石を発見。米ナショナル・ジオグラフィック誌やメキシコ国立人類学歴史学研究所の援助を得て、昨年12月に発掘調査を開始、今年2月までに地中に埋まっていたピラミッドの階段を掘り出すことに成功した。エル・パルマール遺跡は1936年に発見されたが、密林に阻まれ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く