と言うワケで、《愛新覚羅宗譜》や王佩環《一個登上龍廷的民族──滿族社會與宮廷》遼寧民族出版社 と言った史料に目を通してみたので、再度追記という形でアキナとサスヘネタをもう一度…。 まず、《一個登上龍廷的民族──滿族社會與宮廷》で引用されていた、《黑圖檔》の該当箇所を見てみましょう。 “……neneme akina gebu halarade geren wang ambasa genefi ududu mudan sorgire jakade teni gebu araha……”i 漢訳:“……先前阿其那改名字时,因诸王大臣前去数次催促,才改了名”。ii やはり前段の引用はこの本からのようですね。一字一句差が無かったです。まぁ、どうもこの本のマンジュ語標記にはちょっと疑問が残るので何とも言えんのですが…。 hoso i unenggi cin wang tomohonggo cin wan
長年の懸念事項である冰嬉に関する記事を見つけたのでメモ。 と、最近冰嬉で検索するとコレばっかり引っかかるんですよね…。《後宮 甄嬛傳(邦題:宮廷の諍い女)》という人気ドラマの一シーンです。 この動画の03:44頃から安陵容のフィギュアスケートが始まります。で、人気ドラマの有名なシーンで使用されたことで、割と冰嬉自体がメジャーになったようで、圓明園ではこんなアトラクションもやるようになったみたいですね…。 それはさておき…。実は清朝の宮廷画の中に《冰嬉図》と題されたモノが結構あり、わりとメジャーな画題なんですよね。自分も美術展などで清朝の宮廷絵画が来るときは冰嬉が題材の絵画あると喜んで見に行きます。2012年に開催された北京故宮博物院200選展で展示されていた〈乾隆帝紫光閣遊宴画巻〉には冰嬉大会の様子が描かれていました。これも面白い絵画で、冰嬉大会の様子が右から左に流れる絵巻でどうやら時間経
と言うワケで前回に続いて論文とか《清史稿》とか《清三朝実録採要》あたりをザラッと読んでまとめたメモなのです。 ドルゴンの勢力拡大⇒ 翌順治元(1644)年4月、今度は正藍旗所属のホロホイiが正藍旗旗王である肅親王・ホーゲがクーデターを謀っていると告発。 ホロホイの供述 :両黄旗の実力者を味方に付けたホーゲはドルゴンが元々身体が弱く病がちなので、摂政の職務を全うできないと断定。 :豫親王・ドドも以前はホーゲ擁立に動かなかったのは間違いだったという発言をしていた…と、ホーゲが語った。 :ホーゲはホラホイらも自派に加わるように強要。 この事件により、ホーゲの推戴者とされた大臣達は処刑され、ホーゲ自体も多羅肅郡王に降格され、失脚している。 入関直前⇒ 同月、大明滅亡の報に接すると、ドルゴンは范文程ら漢人旗人の入関の献策を入れて李自成の大順を制圧するために出征。 この際、ドルゴン勢力圏である両白旗、
前項で触れた四人の皇族の嫁さんがみんなウラナラ氏ブジャンタイiって人の娘さんだった話の続きです。サックリ種明かしをしてしまえば、このブジャンタイって人はフルン四国(海西女直)のウラの最後のベイレ(国主)・ブジャンタイ・ベイレ(Bujantai 布佔泰)のことです。 ブジャンタイは継位前の万暦19(1591)年にヌルハチがハダ、ウラ、ホルチン部など九ヶ国連合軍と戦って破ったグレの戦いで、ヌルハチの捕虜になっています。で、処刑されそうになったところを命乞いして助命して貰って、その後三年間抑留されています。その頃のウラのベイレはブジャンタイの兄・マンタイ・ベイレ(Mantai 滿泰)でしたから、この当時のブジャンタイは王弟みたいな立場ですね。ベイレに近しい親族ですから、戦後、兄であるマンタイ・ベイレからはブジャンタイの保釈要求も出された様です。しかし、ヌルハチが聞き入れなかったようですね。で、抑
と言うワケで、《愛新覚羅宗譜》を調べてきました。婚族が分かってスッキリしますね…。と言うワケで、以下にアイドゥリとともにアダリ、ショトについてもザザッと上げてみましょう。 第二子 碩託 三子 庚子年十一月初十日丑時生母嫡福晋李佳氏逹諸祜巴宴之女(中略)於崇徳八年癸未八月十八日處死年四十四歳(中略)嫡妻烏喇納喇氏布占泰貝勒之女(後略)i 第一子 喇喀 二子 天命十一年丙寅六月初七日午時生嫡母烏喇納喇氏布占泰貝勒之女(後略)ii 第二子 齋蘭布 無嗣 天聰六年壬申二月十六日酉時生嫡母烏喇納喇氏布占泰貝勒之女(後略)iii 第三子 岳賽布 五子 崇徳三年戊寅七月廿六日巳時生嫡母烏喇納喇氏布占泰貝勒之女(後略)iv ショトのアンバ・フジン(正妻)はウラナラ氏のブジャンタイの娘で、記録に残る三人の子供は皆この女性との間に出来た娘さんだったようですね。 第一子 阿逹理 一子 天命九年甲子九月十七日丑時
さて、辮髪乙女ゲードラマこと《歩歩驚心(邦題:宮廷女官・若曦(ジャクギ))》の再放送をツラツラ見てました。何のかんのやっぱ面白いですよねぇ。自分は主人公の若曦にはあんまり感情移入出来ないんですが、まぁ、乙女ゲードラマなので、この人は阿哥たちを描くための狂言廻しですしねぇ。てか、マンジュなので本来ルォシィとでも呼ぶべきでしょうけど、この時代だとどうですかねぇ…。元々漢字を想定した名前は漢字のママで良いのかなとも思います。ともあれ、このドラマは史料読んだだけではさして魅力的とも思えない多羅敦郡王・胤䄉はじめ他の阿哥たちを魅力的に描いてますよね…。確かに十阿哥は愚かかも知れないけど、案外気持ちの良い奴だったのかも知れないなどとはこのドラマ見るまで思いもしませんでしたというか、さして印象強かったわけでもないですしw と言うワケで、今回は九王+α達の名前のマンジュ語読みとマンジュ語の封号を調べて見ま
と言うワケで、前回ネタにしたアキナとサスヘですが、ネットを検索し続けてたら、わりと色々あったのでお蔵出しをば。 雍正上台后把「八阿哥、九阿哥」改名为「阿其那、塞斯黑」,这两个名字是什么意思? これは、どうやら中国版の知恵袋とか小町みたいなページですかね。マンジュ熱が凄く熱い人の回答が常軌を逸していて勉強になります。内容については多分下に挙げてる様な論文がソースと言うコトになるかと思います。独自に辞書や上奏文などから画像も貼り付けていますし、読み応え有りますね。 で、まずは犬と豚のマンジュ語の語彙に関してはこの論文が元になっているようです。もっとも、この論文の通りには上げていませんけど…。 沈原〈“阿其那”、“塞思黑”考释〉《清史研究》1997, 0(1): 90-96 �各種犬のマンジュ語一覧 indahūn 狗⇒犬 ajirhan 牙狗⇒雄犬 enihen 母狗⇒雌犬 taiha 长毛细
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