ブックマーク / www.ku-hibino.com (8)

  • 山王宮のいっかくに祀られている庚申塔 大分県豊後高田市上香々地 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    大分県 国東半島の庚申塔を調査しつづけておられる小林幸弘氏が運営されるホームページ『国東半島の庚申塔』。こちらで紹介されている庚申塔をめぐってみました。今回は、豊後高田市の上香々地にある山王宮です。 参照:『国東半島の庚申塔-豊後高田市香々地地区の庚申塔所在地一覧-』 山王宮のいっかくに↓下の写真のような文字塔がまつられていました。 場所:大分県豊後高田市上香々地 座標値:33.631673,131.537142 山王宮は日枝神社のすぐとなりにまつられています。↓こちらは山王宮の鳥居です。 ↓日枝神社側から山王宮をながめた写真です。写真の右側に山王宮の鳥居がみえています。山王宮の境内は雑草が繁茂しています。問題となる庚申塔は↓下の写真の左側のほうにありました。 山王宮のいっかくに石塔がずらっとならべられています。 これらの石塔がなんであるのか不明です。なにか神様をまつったものでしょうか。

    山王宮のいっかくに祀られている庚申塔 大分県豊後高田市上香々地 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/09/21
    貴重な石が風化しないといいですね。😄
  • 小倉にある1343年につくられた板碑 -自然石梵字板碑- 福岡県北九州市小倉南区西水町 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    北九州市小倉南区の西水町という地区に貴布祢神社がまつられています。この神社に680年ちかく前につくられた梵字板碑がまつられているといいます。 境内にはいって拝殿を前にします。拝殿右奥のほうにプラスチックトタン屋根が設置されているのがみえます。その屋根のしたに二基の石塔がまつられています。 どちらの石塔もわたしの背丈をこす、おおきなものです。これらのうち、文字が刻まれているのが左側の石塔です。 場所:福岡県北九州市小倉南区西水町 座標値:33.851683,130.892345 左側の石塔が「自然石梵字板碑」と思われます。そうすると、案内板によると、この石塔は高さが182㎝あることになります。 板碑の上部に阿弥陀如来をあらわす梵字「キリーク」がきざまれています↓ そして板碑の左下側に「康永第二天暦癸未三月十三日」の文字が刻まれます。康永二年は1343年で干支は癸未(みずのとひつじ)です参照↓

    小倉にある1343年につくられた板碑 -自然石梵字板碑- 福岡県北九州市小倉南区西水町 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/09/11
    貴重な石がよく残ってくれたと思います。大事にしたいですね。😄
  • 面長な青面金剛像がきざまれる庚申塔 大分県豊後高田市加礼川 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    大分県 国東半島の中央部から、やや西よりの地域に豊後高田市加礼川という地区があります。この地区に大年神社があり、神社の南西約100m地点に庚申塔が祀られています。少しだけ山のなかに入った場所に祀られているために、やや見つけにくいです。 場所:大分県豊後高田市加礼川 座標値:33.5603156,131.5603259 庚申塔は大きな岩の前にまつられ、さらに庚申塔にむかって左側には大威徳明王と思われる石仏がおさめられている石祠が祀られています。 庚申塔の主尊は青面金剛で一面四臂(いちめんよんぴ)です。 青面金剛像は、特徴的な面長な顔をもち、腰まわりには鎧のような衣類をみにつけているようです。青面金剛の両脇には二童子がひかえ、足下には三猿、二鶏が刻まれます。 三猿、二鶏のさらに下には庚申講のメンバーとおもわれる人の名前が7名ほど刻まれています。 庚申塔に向かって右側面には「元禄十四(1701年

    面長な青面金剛像がきざまれる庚申塔 大分県豊後高田市加礼川 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/07/12
    豊後高田には、苔で緑色になった石像のイメージがあります。😄
  • 難所の峠にたてられた稲荷神社 福岡県田川郡赤村大字赤 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    場所:福岡県田川郡赤村大字赤 座標値:33.617001,130.899099 福岡県京都(みやこ)郡と田川郡との県境に、今から約600年前に建立されたと伝わる稲荷神社があります。岩嶽(いわたけ)稲荷です。 県道34号線沿いに岩嶽稲荷の鳥居がみえる 岩嶽稲荷がある場所が石坂峠なのですが、石坂峠は京都郡みやこ町犀川(さいがわ)崎山と田川郡赤村山浦との町村境にもなっています。標高82mのこの峠には以下のような伝説がのこっています。 神功皇后が香椎宮(福岡県福岡市)から宇佐神宮(大分県宇佐市)へむかっていた際、ここ、岩嶽稲荷がある石坂峠で旅駕(たびかご)をとめ、景色を愛でた(参照:案内板) 他にも『新京築風土記(山内公二著)』P.149には”神功皇后が石坂峠で道にまよったとき、二匹の白キツネが道案内をした”という伝説も紹介されています。神功皇后がここを通ったという点は共通しています。 約600年

    難所の峠にたてられた稲荷神社 福岡県田川郡赤村大字赤 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/05/27
    岩嶽稲荷は初めて知りました。鳥居は重厚感がありますね。😄
  • むかし国東半島で勢力をひろげていた田原氏の墓地【田原(たわら)家丸山墓地】 大分県杵築市大田沓掛 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    場所:大分県杵築市大田沓掛(くつかけ) 座標値:33.509989,131.560569 2011.6.28撮影 田原家丸山墓地の五輪塔群 これら30数基の五輪塔は1100年から1400年の間にかけて造られたと考えられています。田原氏は、室町から安土桃山時代にかけて国東半島で勢力をのばしていた一族です(参照:六郷山と田染荘遺跡(櫻井成昭著)P29) 墓地内で最も大きな五輪塔 高さ174㎝ 田原氏は、大友宗麟をはじめとする大友氏から分家した一族です。分家した田原氏はだんだん大友家に反乱をおこすようになります。 1579~1580年に田原家跡継ぎ争いで、ついに大友親家と田原親貫とが戦争をはじめます。結果、大友親家が勝利し、田原親家として大友家の血族が田原家を率いることとなります。 田原家丸山墓地から東南東へ約100m移動すると田原家五重塔があります。 田原家五重塔 高さ411㎝ 場所:大分県杵

    むかし国東半島で勢力をひろげていた田原氏の墓地【田原(たわら)家丸山墓地】 大分県杵築市大田沓掛 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/05/05
    杵築市にこんなところがあったんですね!参考になりました。😄
  • 梅の木磨崖地蔵尊 大分県豊後高田市夷(えびす) - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    国東半島の石造美術 (酒井冨蔵著)の目次では、国東半島の石造美術が以下のように分類されています。 ・国東塔 ・板碑(いたび) ・富貴寺笠塔婆 ・宝篋印塔 ・五輪塔 ・宝塔 ・層塔 ・石塔 ・無縫塔 ・供養塔 ・庚申塔 ・石憧 ・石殿 ・石仏 ・石室・石仏龕 ・鳥居 ・石灯籠 今回ご紹介する「梅の木磨崖地蔵尊(うめのきまがいじぞうそん)」は、上の分類の「石仏」のなかの「磨崖仏」に属します。 梅の木磨崖地蔵尊がある岩屋 撮影:2016.2.17 場所:大分県豊後高田市夷 おおよその座標値:33.613937,131.550734 上の写真のように岩壁に庇がつくられており、この庇の下に「梅の木磨崖地蔵尊」が守られています。「梅の木磨崖地蔵尊」と称される石仏は、合計4基、岩壁に刻まれていて、左側から①比丘像・②地蔵尊・③比丘尼像・④比丘尼像というふうに並んでいます。 仁聞(にんもん)菩薩をあらわし

    梅の木磨崖地蔵尊 大分県豊後高田市夷(えびす) - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2020/04/26
    国東半島は磨崖仏で有名ですが、今回の磨崖仏は初めて見ました。😄
  • 希少なレンガ建造物【延壽寺 外壁】 大分県豊後高田市 田染 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    場所:大分県豊後高田市田染小崎 座標値:33.509847,131.508318 レンガ造りの構造物は地震に弱く、関東大震災以降に激減したということを知りました(参照:Wikipedia-煉瓦)。そのために、レンガ造りの建物は希少ということを知りました。その事情を知ってから、豊後高田市にある延壽寺の外壁に目がとまりました。 延壽寺を訪れた目的は、堂の裏側に祀られている庚申塔に会いにいくことでした。しかし、延壽寺のレンガ造りの外壁が珍しくカメラを向けました。 明治維新(1800中期)~関東大震災(1923年)まで、日のレンガの歴史は、わずか100年ほどと考えられます。 思い返してみると、古いお寺や民家の外壁にレンガが使用されている例を何件かあることが思い出されました。気にして探してみると、レンガ造りの建造物は周囲にみあたるのかもしれません。

    希少なレンガ建造物【延壽寺 外壁】 大分県豊後高田市 田染 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2019/12/29
  • 廃線沿いにある炭鉱遺跡 福岡県飯塚市平恒 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    大正時代末期につくられたといわれる、炭鉱の「巻き上げ機」の台座が、福岡県飯塚市の平恒という地区に残ります。巻き上げ機というのは、炭鉱の坑内へ、人や資材、石炭を積んだトロッコを引っ張るためのロープを巻き上げる機械のことです(参照:クロスロード ふくおか 巻き上げ機台座/三菱飯塚炭鉱)。 台座はレンガで造られており、レンガの黒い汚れにより台座の重厚感が増しています。 巻き上げ機台座を側面からみたところ 場所:福岡県飯塚市平恒 座標値:33.605641,130.691576 この史跡のことを知ったのは、『鉄道再発見の旅』P78です。『鉄道再発見の旅』では、今では廃線となった上山田線(筑豊鉄道)の平恒駅近くにある炭鉱史跡として紹介されています。この巻き上げ機台座は「三菱飯塚炭鉱 第2坑」で使用されていました。三菱飯塚炭鉱の略歴を以下に示します。 1915(大正4)年:開坑 1927年(昭和2)年

    廃線沿いにある炭鉱遺跡 福岡県飯塚市平恒 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    bkeita
    bkeita 2019/12/17
    海外の遺跡だと紹介されると、神聖な建物の様にも見えますね。😊
  • 1