5月8日(月)、オアハカから長距離夜行バスでメキシコ・シティに向けて出発、翌日早朝到着。 10日(水)チャプルテペック公園へ行き、近代美術館の絵画を鑑賞する。 シケイロスやタマヨ、リベラ達の原画にやっと出会う事が出来た。 その後、シケイロスの芸術的集大成(絵画と彫刻を融合させた)とも言える文化ポリフォルムと国立自治大学を訪ねて、メキシコが世界に誇る巨大壁画を思いっきり堪能する。 九州の片田舎から上京して、新宿の紀伊国屋書店でシケイロスの画集を観た時の新鮮な驚きは、今でも鮮明に覚えている。 私にとってシケイロス達の壁画、原画に出会う事は15年来の夢だった。 体中がうち震えるような感動と興奮を覚えた。 ※なお国立自治大学のメインキャンバス「シウダー・ウニペルシタリア」は、2007年に世界文化遺産に登録された。 <花のクローズアップ写真は、随時新しい写真をアップし
#1 直島に行きたい人へアドバイスまとめ 私たちはベネッセハウスに泊まったので、主にベネッセハウスに泊まりたい人向けのアドバイスです。 アート施設の見どころは、家プロジェクト、地中美術館、ベネッセハウスミュージアム棟、ベネッセハウス周辺にある屋外アート作品群の4つ。 上記4つのうち、家プロジェクトと地中美術館は月曜休みなので、それを考慮して滞在計画を立てる。 ベネッセハウスで希望の部屋がある人は早めに埋まるので、早めに取ったほうがいいかも。park棟とかは比較的あとまで空いているけど、ミュージアム棟に泊まると、夜まで作品を見られてよさそう。私は今度行くならミュージアム棟に泊まりたいと思った。park棟にもいくらか作品はあるのだけど、ミュージアム棟は数が違うし、光を発する作品もあるので、夜、まわりが暗い中でどんな風に見えるのか見てみたかった(park棟から夜ミュージアム棟に行きたい場合は、頼
「どうして旅館で現代アートなの?」きっとこの問いは何百回となく繰り返されてきたのでしょう。「大黒屋」社長の室井俊二さんは、立て板に水で答えてくれました。大黒屋は千年の歴史を伝える板室温泉でも指折りの老舗。今も湯治場的なムードが濃く、観光温泉地とは一線を画しています。そんな中、大黒屋は、ほかとは異質な魅力を発している宿です。 「私が旅館を手伝うようになったバブルの頃、お金を出すからコレをしてくれ、みたいなお客さんが結構いらしたんです。お客さんの要求に合わせているうち、何だか自分もお金の奴隷になってしまったような気分になってしまいました。ある日、お客さんから、君は一生懸命に仕事をやっているけれど、ちっとも楽しそうじゃないねと言われ、はっとしました。私は今まで、仕事は楽しいものであるという発想がなかったんです。そこで、楽しく仕事をしている人なんているんですかと聞いてみたところ、銀座の画廊へ行って
12月11 2007年最後のアート道楽ツアー カテゴリ:アート新潟・富山 富山県の入善町にある、水力発電所跡をリノベーションした美術館、「発電所美術館」のことは前から気になっていた。内藤礼の「母型」という企画展をこの秋からやっていると知り、はるばる訪れるならこの機会と思い立ち今年最後のアート道楽ツアーに出発した。 上越新幹線・ほくほく線経由のルート上にある新潟県十日町のジェームズ・タレルの「光の館」にも宿泊。この時季は天候に恵まれないことは覚悟で訪れたのだが、幸運にも夕暮れのライト・プログラムは体験することができた。夜明けは残念ながら雨のため屋根を開放できず。「光の館」は宿泊する和室の天井の屋根がぽっかりオープンするのである!まさにアート作品そのものに宿泊できるスポット。積りはじめの雪景色も美しかった。 発電所美術館は、入善という小さな駅からタクシーで10分ほどの田園風景の中にあり、内藤礼
いつも「日経WOMANサイト」をご愛読下さりありがとうございます。 当サイトは2007年3月以来、日経BP社の月刊誌「日経WOMAN」から記事の提供を受け、日本経済新聞社NIKKEI NETの女性向けニュースと一緒に提供する形で共同運営してきたサイトです。 この度、日本経済新聞社が2010年3月23日に日本経済新聞 電子版を創刊するのに伴い、当「日経WOMANサイト」のサービスを終了し、女性のための生活情報は日本経済新聞 電子版の「ライフ」セクション、「オフタイム」コーナーなどで提供していくことになりました。 また、雑誌「日経WOMAN」のコンテンツは日経BP社の女性向けポータルサイト「日経ウーマンオンライン」(http://wol.nikkeibp.co.jp/)でご覧戴けます。引き続きこれらのサイトをご利用戴ければ幸いです。 3年間にわたる皆様のご愛顧に感謝し、御礼申し上げます。ありが
「土佐の絵金」の名前を、私は、いつ、誰から教わったのだったろう? もう20年も前になる学生時代、歌川国芳や月岡芳年の名前と一緒に覚えたのではないかと思う。けれど、版画という複製メディアを通じて”全国区”的に名を馳せた国芳や芳年と違って、作品のほとんどが高知に残る絵金のホンモノには、ついぞお目にかかったことがなかった。 絵金(1812~1876)は、幕末土佐の町絵師・金蔵の通称である。贋作事件によって高知城下を追放されたのち、赤岡町(現・香南市)に住み、町の旦那衆のために、極彩色の芝居絵屏風を描いた。年に一度、須留田八幡宮の祭礼の宵宮にあたる7月14日の晩に、絵金の屏風が商家の軒先に広げられるようになったのは江戸時代末期のことだという。 この話を聞いて以来、私はずっと南国の海辺の町に憧れを寄せてきた。けれど、社会人の生活では、なかなかドンピシャリその日に休暇を取ることができなかった。たまたま
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