2007年7月24日のブックマーク (24件)

  • ■ - paint/note

    大辻清司の写真は常に「何かについての写真」であるように見える。それはすなわち、作品についての写真であり、時代を主導する美術ムーブメントについての写真であり、機械や科学についての写真であり、批評についての写真であり、そして写真についての写真でもある。だが、考えてみれば、写真とは、誰が、どのように撮ろうとそもそも「何かについての写真」なのではないだろうか。それは世界の事物を光りによって捉える光学システムとしての写真の不可避の条件であるはずだ。大辻清司は、そのことを正面切って捉えていた写真家なのであり、その作品は「何かについての写真」であることを追求することによって、いつしか写真それ自体として自立するという、静かだが遅れてやってくる力のようなものを感じさせる。既に終わってしまったが、松濤美術館での「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」展を見て感じとれたのはそういう事だ。 簡単に言えば、大辻

    ■ - paint/note
  • 本屋のほんね - 2007-07-04

    [rakuten:book:12072269:detail] 地球温暖化に伴う深刻な影響についてアルゴア氏が著した。世界的に有名になったこのですが、読むと絶望的な気分になってきます。環境を守るためにあなたにもできる10のこととして、次に項目が挙げられています。 省エネルギー型の電化製品や電球に交換しましょう 停車中はエンジンを切り、エコドライブしましょう リサイクル製品を積極的に利用しましょう タイヤの空気圧をチェックしましょう こまめに蛇口をしめましょう 過剰包装、レジ袋を断りましょう エアコンの設定温度を変えて、冷暖房のエネルギー削減をしましょう たくさんの木を植えましょう 環境危機ついてもっと学びましょう。そして学んだ知識を行動に移しましょう 映画「不都合な真実」を見て地球の危機について知り、友達に勧めましょう 最後のやつとかは、単なる宣伝のような気もしないでもないのですが、いず

    本屋のほんね - 2007-07-04
    blackspring
    blackspring 2007/07/24
     アルゴア「不都合な真実」 武田邦彦「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の要約。
  • 田原町から浅草を歩いて東武電車にのって隅田川を渡り、玉ノ井へ。 - 旧・日用帳(2003-2015)

    前夜の深酒がたたって、ずいぶん朝寝をしてしまう。計画ではお弁当を作って早々に鎌倉へ展覧会見物に出かけるつもりでいたけれども、大方の予想通り、それはちと無理な相談であった。気を取り直して家事諸々を早々に切り上げて、なんとか正午外出。銀座線に乗り換えて、田原町で下車。ドトールでコーヒーとサンドイッチをべて(日の朝兼昼)、ふうっとひと息ついたあと、日傘片手にテクテクと雷門通り沿いを隅田川の方向へ向かう。今日もずいぶん暑い。通り沿いはいつもながらにお祭りさながらの人ごみ、てんぷら屋にうなぎやにすき焼き屋、駅の直前では神谷バー、というふうに次々と目に映るべ物やがたのしい。しかし、いつも目でたのしむだけで、実際には入ったことのないお店ばかり。近々神谷バーでビールを飲みたいなアと言い続けて幾年月なのだった。 とかなんとか、浅草に来るときは、たいていいつも田原町下車。浅草駅にたどりついて、東武伊

    田原町から浅草を歩いて東武電車にのって隅田川を渡り、玉ノ井へ。 - 旧・日用帳(2003-2015)
  • 冗長美論・前編 | 藤崎圭一郎の雑思録

    唐突ですが、僕の最近の大きなテーマ「冗長美」に関する論考をアップします。長すぎて字数オーバーになって投稿できないので、2つに分けました。この記事の下に、後編があります。 実用性を追求し徹底的に無駄を省いたシンプルな形に美が宿るという機能美神話はかなりの部分、幻想にすぎない。耐震構造偽装されたマンションは、震度5の地震で崩壊する危険性があったとしても、そのことはまったく外観に影響を与えていない。免震マンションが頑強に見えるわけでもなく、姉歯秀次元建築士が構造設計したマンションがか細く見えることもない。姉歯元建築士が「だってレス・イズ・モアだから」って語ったら、モダニズムの神様はどんな思いをしただろうか。 「わしゃあそんなつもりでああ言ったんじゃない」。ミース・ファン・デル・ローエならギロリと睨みを利かせて語る。「バルセロナパビリオンやトゥーゲンハット邸に使ってる柱は知っとるか。ピッカピカのク

    冗長美論・前編 | 藤崎圭一郎の雑思録
  • 森村泰昌-美の教室、清聴せよ (横浜美術館)

  • 久しぶりに「百八やぐら」探訪。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)

  • 風の音が聞こえる「前川國男のクラブハウス」 - 日々・from an architect

    「白の家」へ向かう途中の大通りを曲がって右を見た途端、おやっと思った。もしかしたら前川國男の設計したクラブハウスがここに在るのではないか。1954年に建った木造2階建ての旧NHK富士見が丘クラブハウスだ。覗いてみると広大な敷地の中に樹々がたち、あるはずの運動場やクラブハウスはさえぎられて見えないが、誰でも入ってゆけそうだ。 ほぼ1時間半後、白の家の余韻に浸りながら恐る恐る敷地に入ってみた。右手が木造の住宅街になっていて塀も無く開放的だ。樹の茂みの先に写真で見ていたクラブハウスが現れた。ホッとした。NHKが運動場を手放すと聞いていて、このクラブハウスが取り壊されてしまったのではないかと気になっていたからだ。 運動場とクラブハウスの間には背の高いフェンスが設けられていて、野球の試合をやっている。スコアボードを見ると杉並、世田谷と書いてあり、どうやら区の対抗試合らしい。声が飛び交い楽しそうだ。外

    風の音が聞こえる「前川國男のクラブハウス」 - 日々・from an architect
  • 山本理顕の横須賀美術館 : 中年とオブジェ

    7月20 山理顕の横須賀美術館 カテゴリ:建築アート ヤノベケンジが「シェルターのよう」と形容した横須賀美術館。1階と地下が展示室で、建物の多くのボリュームが地下にとられている。ガラス壁を多用しているのは山理顕らしい特徴だが、美術館としての機能を果たすため、山はガラスの箱の中に、まるでカイコの繭のように曲面を描く、内部壁を設置する方法をとった。この内部壁には、壁にも天井にも大小の丸窓がリズミカルに配され、空間に明るさと変化を演出している。ガラス壁と内部壁の2重構造は、兵庫県立美術館で安藤忠雄も使っているが、横須賀美術館はガラスと白い塗装が前面の緑地に映え、とても軽やかで美しい。 屋上広場が広くとられ、展望室も設けられ、晴れた日のここからの眺めは見事だろう。大きな貨物船や、海上自衛隊の護衛艦が前面の海を行き来していた。 別棟になった谷内六郎の常設展示室は、大小2つのブロックで構成され、

    山本理顕の横須賀美術館 : 中年とオブジェ
    blackspring
    blackspring 2007/07/24
     レストラン アクアマーレ について → http://blog.livedoor.jp/schizou/archives/50769737.html
  • 横須賀美術館 - mezzanine

    台風の中、借りた車でやっとこさ横須賀美術館(設計:山理顕、2007年)を訪れる。 思い出したのは、この美術館の設計者選定において初めて入札に代わる新たな選定方式として採用された「横須賀型資質評価方式(QBS方式)」について。この美術館のほかにも横須賀市では同方式により公共建築の設計者が選定されている。QBSはコンペと違い、書類審査とインタビュー、実績作品の視察が考慮されるもので、プランもスケッチも用意しない。自ずと計画する段階、過程において設計者と自治体の間で設計内容について検討しながら進めることになる。その点が良さそうだなどと学部の頃思ったが、その後どれくらい広まったのだろう。ただ、実績が求められるとなると若い建築家が参入できないため、若い建築家の未来を摘むことにもなるだろう。 私は横須賀市に住民票があるわけではないので偉そうなことは言えないが、訪れて楽しい時間を過ごせたという点で、成

    横須賀美術館 - mezzanine
  • 安藤忠雄の大山崎山荘 : 中年とオブジェ

    6月15 安藤忠雄の大山崎山荘 カテゴリ:建築京都 春に直島の地中美術館を訪れた。モネの睡蓮が飾られた一室があるのだが、部屋の四方の壁のうちひとつに空白の額縁が掛けられていた。係員に聞いてみると、開館1年目だけ期間限定で、京都の大山崎山荘から絵を借りて展示していたのだという。大山崎山荘といえば、安藤忠雄が増築を手がけた美術館だ。京都に来た機会に訪れてみることにした。 京都駅からJRで山崎へ。駅から小高い山の上を目指し歩く。大山崎山荘への入り口は、切通しにトンネルが造られていた。トンネルを抜けしばらく新緑の中を歩くと、チューダー様式の、どっしりした構えの館が見えてきた。ホールの木組みも重厚で美しい。館では版画家、川上澄生の展覧会をやっていた。「文明開化」「南蛮」などをテーマにした懐古的な川上の作品は、館のクラシカルな建築にマッチして、趣を加えている。壁の細工・マントルピース・ステンドグ

    安藤忠雄の大山崎山荘 : 中年とオブジェ
  • 遊行七恵の日々是遊行 花咲く頃 大山崎山荘

  • J.K's Blues:「特別拝観!鎌倉のレトロ建築」(2) - livedoor Blog(ブログ)

  • J.K's Blues:「特別拝観!鎌倉のレトロ建築」(1) - livedoor Blog(ブログ)

  • 絵金まつりの夜:その1~絵金蔵 - 見もの・読みもの日記

    「土佐の絵金」の名前を、私は、いつ、誰から教わったのだったろう? もう20年も前になる学生時代、歌川国芳や月岡芳年の名前と一緒に覚えたのではないかと思う。けれど、版画という複製メディアを通じて”全国区”的に名を馳せた国芳や芳年と違って、作品のほとんどが高知に残る絵金のホンモノには、ついぞお目にかかったことがなかった。 絵金(1812~1876)は、幕末土佐の町絵師・金蔵の通称である。贋作事件によって高知城下を追放されたのち、赤岡町(現・香南市)に住み、町の旦那衆のために、極彩色の芝居絵屏風を描いた。年に一度、須留田八幡宮の祭礼の宵宮にあたる7月14日の晩に、絵金の屏風が商家の軒先に広げられるようになったのは江戸時代末期のことだという。 この話を聞いて以来、私はずっと南国の海辺の町に憧れを寄せてきた。けれど、社会人の生活では、なかなかドンピシャリその日に休暇を取ることができなかった。たまたま

    絵金まつりの夜:その1~絵金蔵 - 見もの・読みもの日記
  • 解体の現場 - 都市徘徊blog

    不忍池の畔で超高層建物が解体されている。 解体中のソフィテル東京(旧法華クラブ、ホテルCOSIMA) 所在地:台東区池之端2-1 構造・階数:SRC・26F 高さ :110.2m 解体工事:2007.2~2008.5 Photo 2007.6.18 2月から解体が始まったソフィテル東京の建物。1ヶ月ほど前に見たら、格的な解体作業が始まっていて、建物全体に足場が組まれ、上部がシートで覆われていた。建物側面にはクレーンも立てられている。 既に内部の什器、建具等は取り払われたのだろう。遠くから見ただけではよく分からないが、窓のサッシもなくなっているようだった。建物の外側に足場を造り、外壁パネルを取り外し、躯体だけにして解体を進めるのだろうか。 しかしなんだか、かっこいい!! 中国の建設現場みたいにも見える。日では超高層ビルの建設時に、外側全部に足場を組むことはあまりないので、ビル全体を覆った

    解体の現場 - 都市徘徊blog
    blackspring
    blackspring 2007/07/24
     ソフィテル(菊竹清訓)
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • シリーズ画家と戦争(2)靉光 時代の自画像 @新日曜美術館 | Art & Bell by Tora

    東京国立近代美術館で開かれた靉光展については、かなり詳しい記事をホームページに載せたが、何か一つ釈然としないところが残っていた。また広島県立美術館を訪れた際には、靉光の出生地である広島で、8月から始まる「生誕100年靉光展」が心待ちにされていることを知った。そこで今日の放送を非常に興味深く聞いた。ゲストはお父さんが画家で靉光とも親交のあった俳優の寺田農さんと広島市立大学の大井建地教授。 靉光は満州事変の始まった1931年に、池袋モンパルナスで制作をはじめ、始めは《キリスト(黒)》にみられるようなルオーばりの画を描いたり、《キリスト(赤)》のようにロウ画の技法を使ったり、さらには《編物をする女》のように、デフォルメや異なるタッチを使いながら対象の奥底に迫ろうとしていた。しかし、さまざまな技法を試しても、描きたいものの核心に達することはできず、奥さんのキエさんの証言によると、「画が描けない」と

    シリーズ画家と戦争(2)靉光 時代の自画像 @新日曜美術館 | Art & Bell by Tora
    blackspring
    blackspring 2007/07/24
     見た。アッツ島での日本軍の玉砕報道に対する発言と、自身に召集令状が来たときに兄に送った手紙の文言が印象的だった。
  • シリーズ 画家と戦争(1) 戦争画が生んだ名作‐小磯良平《斉唱》 | Art & Bell by Tora

    小磯良平の戦争画《娘子関を往く》の評価については、以前にホームページ①に書いた。また「娘子関の戦闘」についてもホームページ②に書いている。今回新日曜美術館で、画家と戦争シリーズの第1弾として小磯が取り上げられたので、興味を持って聞いた。 「戦争画が生んだ名作」という題名は、おそるべき明快な表現である。こういう題を付けると、戦争画の存在をはなから肯定してしまうことにもなる。「戦争を早く終結させ、ソ連の北海道占領を防ぐためには、原爆投下はやむをえなかった」という久間前防衛大臣の発言ときわめて類似している。すなわち「《斉唱》という名作を描けたのは、戦争画で画法を練り上げたからであり、戦争画を描いたことはその後の名作を描くためにはやむをえなかった」という発想につながる。 当の小磯良平は、自分の作品リストに戦争画を入れることを許さず、戦争画について話すことを極度に嫌っていたという。一方、ゲストのH市

    シリーズ 画家と戦争(1) 戦争画が生んだ名作‐小磯良平《斉唱》 | Art & Bell by Tora
  • 祈りの中世 ロマネスク美術写真展 @国立西洋美術館 版画素描展示室 | Art & Bell by Tora

    11世紀から12世紀にかけて生まれたロマネスク美術は、キリスト教の教えを広めるため、人里はなれた修道院や村の聖堂にまで展開されたものである。数年前にバルセロナの「カタルーニャ美術館」で《栄光の聖母》をはじめとするロマネスク美術に始めて接してとても感動した。 カタルーニャ美術館の展示品は地方にあったものを大々的に移動したものであるが、通常は田舎にそのまま残っており、現地に行かなければ見ることができない。 したがって今回の展覧会のように写真で紹介されるのはとてもありがたい。今回の写真を撮影された六田知弘氏に深謝。 この展覧会を機会にわが国でもロマネスク美術ファンが増えることを期待したい。 フランスとスペインの5つの宗教建築が紹介されていた。個別にそのハイライトについて記す。 1.サント・マドレーヌ修道院(フランス、ヴェズレー) 「ダ・ヴィンチ コード」にも出てきた「マグダラのマリアの聖遺物」を

    祈りの中世 ロマネスク美術写真展 @国立西洋美術館 版画素描展示室 | Art & Bell by Tora
  • 森村泰昌「美の教室、清聴せよ」展 @横浜美術館 | Art & Bell by Tora

    展覧会を授業形式にした珍しい試みである。エスカレーターで2階に上ると、いつもと違って、まず右折して準備室に入る。そこで無料貸出の音声ガイドを借りて、次のホームルームに移る。小学校のような小さい木の机と椅子が12個置いてある。椅子に坐って、ビデオでモリムラ先生の授業を聞く。来場者は「生徒」となっている仕組みである。とても空いていて、教室内はガラガラ。 を使ったインスタレーションのある廊下を通って、美の教室へ移動。会場の地図に主な展示作品のアイコンを張り付けてみた。クリックで拡大。 1時間目:フェルメール・ルーム [絵画の国のアリス] ウィーン美術史美術館にあるフェルメールの《絵画芸術の寓意》を模した森村の《フェルメール研究(大きな物語は、小さな部屋の 片隅に現れる)》という国立国際美術館所蔵のカラー写真。制作舞台となった原寸大のセットが再現されている。 液晶ビデオ画面で森村がミューズや画家

    森村泰昌「美の教室、清聴せよ」展 @横浜美術館 | Art & Bell by Tora
  • キリスト教の分裂と和解 - 西野神社 社務日誌

    キリスト教の世界では20世紀以降、各派に分裂してしまったキリスト教の教派同士の対話と和解を進め、最終的にはキリスト教会全体の一致促進を目指す「エキュメニズム」という運動が積極的に行なわれるようになっています。 当初はプロテスタントの立場から始められた運動だったのですが、その後、プロテスタント諸派とオーソドックス(東方正教会)が加盟する世界教会協議会(WCC)がこの運動に取り組むようになり、後述する「第2ヴァチカン公会議」以降は、カトリック教会もこの運動に呼応するようになり、近年では特に、カトリックと、プロテスタントのルーテル教会、アングリカン(英国国教会系の教会)の取り組みが成果を挙げていると云われています。 しかし、今月になって、ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇ベネディクト16世が、カトリックをも含むキリスト教全体が今まで取り組んできたこのエキュメニズムを根から否定するとも受け止

    キリスト教の分裂と和解 - 西野神社 社務日誌
  • 神前結婚式 - 西野神社 社務日誌

    あまり知られていませんが、今日、7月21日は「神前結婚記念日」です。「神前結婚記念日」は、明治30年の今日、日比谷大神宮(現在の東京大神宮)で2組の神前結婚式(民間の公式な神前結婚式としてはこれが初めてと云われています)が行われた事を記念して制定された記念日で、日が神前結婚記念日である事に因み、今日は神前結婚式について簡単に解説をさせて頂きます。 実は、「神前結婚式」という神道式の結婚式は、明治時代になってから行なわれるようになったもので、その歴史は意外と新しく、江戸時代までの日では、自宅で行われる「人前結婚式」が一般的でした。江戸時代の人前結婚式は、新郎と新婦が、家を護る神様の前で共に生きる事を誓い、その後で親戚や近隣の人々を集めた宴会を開いて二人を祝福するという形で行なわれていました。 江戸時代を舞台とした時代劇の中でよく行われている結婚式も、だいたいはこういう形で行われている人前

  • 国鉄と社会保険庁に見る組合問題への対処の相違 | bewaad institute@kasumigaseki

    「社会保険庁の存在意義のオモテとウラ」(@常夏島日記7/22付) を読んで思ったよしなしごとをば。 このエントリにおいて、potato_gnocchiさんは社会保険庁の組合問題について論じられているわけですが、公的セクターの組合問題への対処として、おそらくこれまでもっとも大仕掛けのものは国鉄の分割・民営化でしたでしょうし、現に社会保険庁について、組合問題の文脈で、国鉄と対比して論ずるようなものも散見されます。公務(現業)・組合と共通項がそろっているわけですから、対比には格好であるのも事実ですが、webmasterには、両者は大いに違った構造から出てきた話であるようにも見えます‐端的には、この問題は、安倍政権ならではの色彩が色濃い、ということとなります。 安倍政権ならではの色彩とは、今国会でいえば教育関係の法改正は強行採決してでも通す一方、ホワイトカラーエグゼンプションはあっさりと継続審議に

  • 活字中毒R。

    『スポーツニッポン』の記事より。 (「艇王」とファンに畏敬された競艇選手・植木通彦さんが「引退」について語ったインタビューより) 【――引退を決めた時期と理由は? 植木 心の中で20年間が大きかった。(桐生で)ケガをしたときに20年やろうと。この数字が頑張る支えになっていた。12年前にカミさん(節子夫人)と結婚したときも“(選手生活21年で迎える)40歳までは走るよ”と言っていた。 ――家族は引退をどう受け止めている? 子供は3人いるが、1番下の子(二男)は“ディズニーランドにでも行くの?”という感じだった。 ――もし3月の総理杯(平和島)を優勝していたら? 優勝しても辞めていたと思うし、F休み明けで平和島を走れたのがうれしかった。6日間走れたことに悔いはない。 ――引退の相談は? 恩師(田中靖人さん=小倉商野球部の当時の監督)には相談して「(辞めたら)一般社会は厳しいぞ」と言われたが、賛

    blackspring
    blackspring 2007/07/24
     「最近、若松(4月の周年記念2日目)で落水した。普通はヤジが飛ぶところだが『植木、大丈夫か?』と言われた。そのときに『もう乗れんかな?』と思った」