武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の有志5人による合同展「突然、目の前がひらけて」展を、11月14日に訪れた(両校の2つのギャラリースペース。21日まで)。筆者自身も「社会の芸術フォーラム」の第3回フォーラム「問題としての多文化主義:表現・アイデンティティ・(不)寛容」で言及し、期待を表明していたが、隣接する両校の間の塀に橋を架けるプロジェクトが注目され、各紙で取り上げられるなど(朝日新聞、東京新聞)、話題になっている。(あくまで素人的、かつ個人的な)雑感を記してみたい。 橋という象徴をめぐる日常と非日常「橋」をしばらく眺めていた。おそるおそる渡っていた人たちが印象的だった。なんだか楽しそうに渡っていた人たちも、いた。そして私にとっては、それなりに長い時間その辺にいたので必要があって何度も往復するうちに、すぐに日常のツールとしての単なる橋と化した。象徴とはそのようなものだ。当初は象徴的な意味