ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (4)

  • 『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記

    注意!ネタバレあり! 幸村誠(ゆきむら・まこと)のマンガ『プラネテス』(講談社モーニングKC)について、むかし記事をかきました。 『プラネテス』のポリティカ その1 - 猿虎日記(さるとらにっき) よくやるのですが、「つづく」としたまま放置。きがつくと3年いじょう たっていました。あれから3年も たったというのが 信じられないのですが。 先日、上田亮(うえだ・りょう)さんが、この記事についてトラックバックをおくってくださいました。 『プラネテス』における「政治」について考える - 上田亮の只今勉強中 わたしが つづきで書こうと おもっていた、『プラネテス』のなかで「ひっかかった」ぶぶんについて、ほとんど書いて くださいました。 「テロリスト」が「愛の力」で「バッタリと活動を停止した」というところも そうです。つけくわえると、この「テロリスト」は「ハキム」という名前から わかるように、アラブ

    『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記
  • 道路は交通の為の場所か? 3 - 猿虎日記

    デモに対する「叫ぶならカラオケボックスで」という感覚と、「主張はご自分のブログでどうぞ」という感覚は、もちろん共通しています。つまり、政治的主張に相応しい場所というのは、「公道」ではなく、カラオケボックスに象徴されるような、閉鎖された「私的」な場所である、という感覚です。森氏が言うような、この「デモの私事化」という問題は、このブログでしつこく話題にしていたデモの「衰退」ということ以上に重要な問題なのだと思います。 政治の「私事化」ということについては、私も以前少し書きましたので、それを再掲します。 しかし、「迷惑な人」に対する非難が、人ごとのような、高みから諭すような、冷笑するような口調を持つ原因は、次のようにも考えられるのではないか。まず、例えばビラをまくというような行為が、取るに足らない、趣味的な、いわば「私的な」ものと見なされているということ。行為そのものに関しては、冷淡、あるいは無

    道路は交通の為の場所か? 3 - 猿虎日記
  • 道路は交通の為の場所か? 2 - 猿虎日記

    しかし、ちょっと逆の言い方を考えてみたいのです。「デモは交通の邪魔」と言うけど、そもそも「交通はデモの邪魔」という言い方だってできるわけです。道路というのは、交通の為の場所であって、主張の場所ではない、というのは当たり前のことなのだろうか。 それに関して、森達也氏*1の「酒井隆志『自由論』を読む――自由の実践の規定に向けて――」という文章に以下のような記述がありました。ちょっと長くなってしまいますが、引用させていただきます。 ■ 政治の私事化 話は変わりますが、今年はイラク戦争の影響で、あちこちで反戦デモ(最近はピース・ウォークなどと呼ばれている)が行われました。先日私もちょっと参加してみたが、そこで思ったことがあります。 デモは、大抵の場合、どこかの公園を集合場所とします。そこで演説だの声明文だのをひとしきり聞いた(聞き流した)後で、いよいよ街路に繰り出す、というのが一般的なパターンなの

    道路は交通の為の場所か? 2 - 猿虎日記
  • 道路は交通の為の場所か? 1 - 猿虎日記

    東京レズビアン&ゲイパレードの写真を見たSakiさん(アメリカ在住)の感想 http://d.hatena.ne.jp/kleinbottle526/20060820/1156031128 にこういう部分がありました。 びっくりしたのが、パレードの横を車が通っていたこと。高いアングルで撮った写真もいくつか見たけれど、いずれもパレード参加者が車道のはじっこを、すぐ隣を車に走られながら歩いているというもの。すごくびっくりしたのだけれど、これは当たり前のことなのか。東京っていう場所がら、しょうがないのかな。じゃあ日の他の地域でやってるパレードはどうなんだろう。あるいは、米国でもサンフランシスコやニューヨークのように道を封鎖しないところってあるのかな。ヨーロッパとか、他のアジアはどうなんだろう。 それに対して、次のようなコメントを書きました。 http://d.hatena.ne.jp/klei

    道路は交通の為の場所か? 1 - 猿虎日記
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