【読売新聞】 東京都のJR三鷹駅近くにある作家・太宰治ゆかりの跨線橋(こせんきょう)が、撤去される可能性が高まっている。跨線橋は築約90年で老朽化が進行。安全性を確保するのが困難で、所有するJR東日本が三鷹市に無償譲渡を提案していた
【読売新聞】 東京都のJR三鷹駅近くにある作家・太宰治ゆかりの跨線橋(こせんきょう)が、撤去される可能性が高まっている。跨線橋は築約90年で老朽化が進行。安全性を確保するのが困難で、所有するJR東日本が三鷹市に無償譲渡を提案していた
大正10年に創業し、作家の太宰治も利用したと伝えられる千葉県船橋市の旅館が新型コロナウイルスの影響などで廃業し、登録有形文化財の建物が取り壊されることになりました。 廃業を決めたのは、船橋市の中心部にあり、大正10年に料亭として営業を始めたという「玉川旅館」です。 旅館には昭和16年に建てられたという「本館」、昭和3年に建てられ23年に増築されたという「第一別館」、それに昭和8年に建てられたという「第二別館」があり、それぞれ国の登録有形文化財になっています。 旅館によりますと、このうち第二別館にある「桔梗の間」は近くに住んでいた作家の太宰治が利用したと伝えられ、国内外から多くのファンが泊まりに訪れたということです。 しかし維持管理費がかさむなか、新型コロナウイルスの影響で宴会のキャンセルが相次ぐなどしたことから、先月末をもって廃業し、来月から建物が取り壊されることになりました。 おかみの長
ノーベル文学賞の発表が選考組織のスキャンダルで見送られたことを受けて、スウェーデンの文化人などがことし1年限定で創設した新たな文学賞で最終選考の4人に残っていた村上春樹さんが、執筆活動に専念したいとして辞退を申し出ていたことがわかりました。 賞の選考組織「ニュー・アカデミー」のウェブサイトによりますと、村上さんは、最終候補に選ばれたことに感謝の思いを示しながらも、執筆活動に専念したいとして辞退する意向を伝えてきたということです。 ニュー・アカデミーは、ノーベル賞の各賞の発表が終わったあとの来月12日に受賞者を発表し、ノーベル賞の式典の前日の12月9日にストックホルムで授賞式を行う予定だということです。
歌人 枡野浩一 Koichi MASUNO @toiimasunomo 石川啄木の短歌の著作権はもう切れているけれど現代語訳と被写体が枡野浩一であることがきちんとひろまり集英社文庫『石川くん』が売れたり再び映像化@ishikawakun1886 されたりしますように!@asanagi07 2017-03-20 02:30:21 歌人 枡野浩一/ピン芸人としての芸名は「歌人さん」 @toiimasunomo 2022年9月に『枡野浩一全短歌集』を刊行したところ思いのほか売れ、残りの人生は好きに生きようと決意。ハンパに終わった2013〜15年の芸人活動を、やり直したくなりました。2023年、事務所タイタンの芸人養成所6期生に。2024年5月から、タイタン所属。ピン芸人の芸名「歌人さん」。ユニットコンビ「歌人裁判」もよろしく。 https://t.co/SGKHsITUMl 朝凪日向💮 @as
若き日の、作家、太宰治が文壇の重鎮、佐藤春夫に宛てて書いた手紙が新たに見つかりました。自分の作品を芥川賞に選ぶよう懇願するなどの内容で、当時の心境を物語る資料として注目されています。 このうち、昭和10年6月の日付があるものは初めて送った手紙とみられ、佐藤から作品の評価を伝え聞いた太宰は「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びをつづっています。 また、昭和11年1月の手紙は長さ4メートル余りの巻紙にしたためられています。前の年に行われた芥川賞の最初の選考会で作品が候補になったものの選ばれず、手紙には「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」と自分の作品を選ぶよう懇願する内容になっています。 太宰治が芥川賞の選考委員に受賞を懇願する手紙や
「人間失格」「走れメロス」などを書いた文豪・太宰治の学生時代のノートが弘前大学のWebサイトに全文公開されています。旧制弘前高校(※弘前大学の前身。「高校」という名前ですが今でいう大学に近い)に入学した太宰が、2年次の「修身」の授業で使用したノートです。授業の内容を書き取るあいまに、落書きやサインの練習などが繰り広げられています。あっ……(察し)。 左にはお絵かき、右にはサイン ノートの後半には7ページにわたって自画像的なイラストが描かれています。「津島修治」という名前がいっぱいに書かれたページもありますが、これは太宰治の本名。 表紙にもサインがいっぱい 表紙、裏表紙にも書き込みがいっぱい。表紙にたくさん書かれている「辻島衆二」は、太宰治が高校時代に使っていたペンネームです。太宰治のノートだから貴重な資料になりますが、もし過去の自分のノートが公開されたらと考えてみると……つ、つらい……。
生々しい愛憎や性、殺人などの描写は、小説や漫画なら大胆に描けても、実写になったとき、薄味なこともある。が、この映画は、濃度を保っている。主人公の花役の二階堂ふみと、花と愛情を交わす淳悟役の浅野忠信が色っぽい。ドロリと熱っぽい空気感を撮った監督は、『海炭市叙景』『夏の終り』などの熊切和嘉。ふたりの感情を、映像ならではのダイナミズムで描き出す。これを原作者はどう受け取ったのだろう。 桜庭一樹に聞いた。 ───映画を見て、いかがでしたか? 桜庭 小説から映画やアニメやラジオドラマ化するとき、テーマを生かすためには構成を変えなくてはいけないといつも思うんです。私は、小説の主人公の女の子・花を、不思議な価値観をもっているにも関わらず、読んだ人が、自分の事のように感じたり共感したりできるように書いたのですが、映画の場合は、花(二階堂ふみ)と淳悟(浅野忠信)のことを俯瞰で見て、現象としてふたりがいるとい
「走れメロス」や「人間失格」などの作品で根強いファンを持つ作家の太宰治が、中学校と高校で使っていたノートなどが東京の文学館に寄贈されました。 ノートには似顔絵やメモ書きがあり、専門家は太宰が文学を志すまでの少年時代を知る貴重な資料だとしています。 寄贈されたのは、太宰治が中学校と高校で使っていたノートや日記など22点です。 太宰の兄で、衆議院議員だった津島文治さんからこれらを受け取った知人の遺族が、東京・目黒区の日本近代文学館に寄贈しました。このうち、高校1年生のときに使っていたとみられるノートには、地学と思われる授業の内容のほかに、みずからが主宰した同人雑誌の表紙のデザイン画や似顔絵、それに目次の案が書かれています。また、太宰は、芥川龍之介に傾倒していたと言われていますが、ノートの余白に芥川の名前を書き連ねた落書きも見られます。 これらのノートは、これまで部分的には公開されていましたが、
【漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に】 文豪、夏目漱石(1867~1916年)が新聞に寄稿した全集未収録の随筆が見つかったことが6日、分かった。初代韓国統監を務めた伊藤博文の暗殺などに触れた内容で、研究者は「初めて見る貴重な資料だ」と評価している。作家の黒川創(そう)さん(51)が国立国会図書館などから発掘した。 引用元:http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357559419/ ソース:http://sankei.jp.msn.com/life/news/130107/art13010714090006-n1.htm ★漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 文豪、夏目漱石(1867~1916年)が新聞に寄稿した全集未収録の随筆が見つかったことが6日、分かった。初代韓国統監を務めた伊藤博文の暗殺などに触
2021年04月01日22:00 太宰をずっと馬鹿にしてたんだけどさ 過去のおすすめ記事の再掲です 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/06/10(日) 21:57:06.00 ID:KEm3lciQ0 女生徒読んで見る目が変わってしまった 面白いな http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/06/10(日) 21:58:13.37 ID:KEm3lciQ0 こことか凄いなって思ったよ 肉親って、不思議なもの。 他人ならば、遠く離れるとしだいに淡く、忘れてゆくものなのに、 肉親は、なおさら、懐かしい美しいところばかり思い出されるのだから。 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
昭和の根っこをつかまえに 第2回「私の志集」の巻 北尾トロ この原稿は「裏モノjapan」に連載した『365歩のマーチ』で書いたものだが、 題材が“昭和的”であり、また単行本未収録でもあるので、ここにふさわしい のではないかと思われる。後半は話が自分よりにズレてゆくのだが、いずれ 時間を見つけ「私の志集」のみの原稿に加筆するつもりである。 夜の街頭に ひっそり立っている女 予期せぬ出会いってもんがある。昔つきあってた女とバッタリとか、見ず知らずの人と瞬時に仲良くなるとか。 逆に通りすがりにインネンつけられてブチのめされるパターンもあって、これはちょっと出会いたくなかったり する。 その夜、ぼくが経験したのは長い間探していた人に偶然出会うってヤツだった。夜10時すぎ、友人と別れてS駅 に向かう途中に、その女が立っていたのだ。 「私の志集」売りである。 東京在住の人なら、一度くらいは「私の志集
――自分が本当は何がしたいのかわからない。 前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。 今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。 そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは本当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。 しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つま
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