ソ連崩壊が迫る1990年、名古屋市の交通ライター、徳田耕一さん(67)は日本の鉄道視察団の一員としてサハリンを訪れた。ソ連の開放政策で、島は外国人を歓迎するムードにあふれていた。 南部ユジノサハリンスク(旧豊原)には蒸気機関車(SL)のD51、ロータリー式ラッセル車など日本製車両がずらり。夜行列車が出るホームのにぎわいは昭和30年代の日本の国鉄の情景を思わせた。徳田さんは「半世紀前の日本にタイムスリップしたようで感激した」と懐かしむ。 サハリンで日本が鉄道建設を始めたのは20世紀初頭。日露戦争での勝利でロシアから島の南半分の割譲を受け、初めは軌間600ミリ、次に国鉄と同じ1067ミリのレールを敷いた。山岳地帯を東西に貫く南部横断線など難工事もあり、朝鮮半島出身者らも動員。石炭や木材を運ぶための私鉄もあった。