![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1f61952973bf59a4cf7ad700be5836bbc612783d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstatic.tokyo-np.co.jp%2Fimage%2Farticle%2Fsize1%2Fe%2F4%2F0%2Fb%2Fe40bc45ef94577bece0cdf112d2e4ce9_1.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント6件
- 注目コメント
- 新着コメント
![blueribbon blueribbon](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/blueribbon/profile.png)
![katamachi katamachi](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/katamachi/profile.png)
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
さらば日本型鉄道ゲージ 樺太の発展を支えて1世紀 ロシア仕様に変更:東京新聞 TOKYO Web
ソ連崩壊が迫る1990年、名古屋市の交通ライター、徳田耕一さん(67)は日本の鉄道視察団の一員と... ソ連崩壊が迫る1990年、名古屋市の交通ライター、徳田耕一さん(67)は日本の鉄道視察団の一員としてサハリンを訪れた。ソ連の開放政策で、島は外国人を歓迎するムードにあふれていた。 南部ユジノサハリンスク(旧豊原)には蒸気機関車(SL)のD51、ロータリー式ラッセル車など日本製車両がずらり。夜行列車が出るホームのにぎわいは昭和30年代の日本の国鉄の情景を思わせた。徳田さんは「半世紀前の日本にタイムスリップしたようで感激した」と懐かしむ。 サハリンで日本が鉄道建設を始めたのは20世紀初頭。日露戦争での勝利でロシアから島の南半分の割譲を受け、初めは軌間600ミリ、次に国鉄と同じ1067ミリのレールを敷いた。山岳地帯を東西に貫く南部横断線など難工事もあり、朝鮮半島出身者らも動員。石炭や木材を運ぶための私鉄もあった。
2020/08/20 リンク