2005年11月5日のブックマーク (4件)

  • イチゴ狩りを通して子どもに何を教えるか

    動物殺し いきなり無関係な話をしますが、小学校のバス旅行で牧場へ行き「牛さんかわいい~」とかいいつつ平気で肉をらう連中がほとんどなのだから、たいていの子どもは大人に教えられなければ目の前にあるふたつの現実を結びつけることができないらしい。トンでも系の主張が混じっていることを承知の上で以下のサイトは必見。 ベジタリアンFAQ 屠殺の写真 私はベジタリアンではないけれど、このサイトはグロい?におけるこのサイトはグロだ!と思う方へ。そのグロいものをべているほうがよっぽどグロくありませんか?という主張は正しいと思う。牛の死に方を知って牛肉をべる気をなくしたなら、その人は牛肉をべないのが正しい。知らずにべている方がよほど残酷だろう。 植物も生物だと気付いて何もべられなくなり、ついに死んでしまう人がいてもよいと私は思う。 それでは鈍感な人間の勝利じゃないか! と、お怒りの声もあるかもしれな

    bluesy
    bluesy 2005/11/05
  • 敗者を生まない「幸福な議論」の3条件

    ?B 勝てる議論、勝てない議論 そもそも「議論」に勝ち負けなんてあるのか? 私は「ある」という立場を取りますが、「ない」と主張する側の意見が提出されていないので、まずひとつ典型的な「議論に勝敗はない論」を示します。 議論に勝ち負けは存在しないといえる理由 当初の自説が、議論の結果、相手の主張に敗れて完全に破壊されたとしよう。しかしそのとき、あなたは相手の主張に感銘を受け、納得して当初の自説を放棄し、相手の主張を受け入れたのだから、説得に成功した相手も、説得されたあなたにも、何ら不都合はないはずである。 双方の主張をお互いによく理解しあった結果、両案よい部分を合わせた、より合理的な解が導かれたとしよう。このときどちらの当初案も一部だけが実現するのだが、よりよい結果となったならば、何ら不都合はないはずである。 議論を通してまったく新しい、そして素晴らしい第三の道が見えてくる場合がある。このとき

    bluesy
    bluesy 2005/11/05
    何度も議論を重ねた徳保さんならでは。勝ち負け意識してたのか
  • 趣味のWebデザイン - 現実との折り合いのつけ方

    実は言及と称して言いたいことを言うだけ なんといいましょうかね。リアルであれネットであれ、自分の立場に置き換えたときに、何かを自分が言って「それって俺には興味がないから」などと返されると、かなりウザく感じるかムカつくだろうなと思います。反対意見ならまだ会話になるだろうし言いたくなる気持ちはわかるし意味もある。わざわざ名指しで登場した極東ブログさんには同情します。 昨日の記事へのご意見。finalvent さんなら「個別の記事についてはとくに関心がなくとも、平均打率に期待して毎日読みにきている読者」の存在について自覚的だろうから、私の記事にショックを受けない可能性が高いと予想して、極東ブログの記事を題材にしました。 1日4桁の読者を恒常的に得るようになってからというもの、「人気サイトの管理人なんだから、こんなことでいちいち怒るもんじゃないよ」風の物言いをしばしばされることがあります。ムカっと

    bluesy
    bluesy 2005/11/05
    徳保さんのスタンス説明
  • ブログで自滅する人々(第2回)〜「祭り」はこうして進行する / デジタルARENA

    4)スレッド参加者が問題のサイトを精査し、他に問題発言や問題行動が記されていないかをチェック。発見された場合は新たな「燃料」としてスレッド上に報告される。 5)ブログサイトの場合、トラックバックやコメント、メールで意見や批判を寄せる「突撃」部隊が現われる。 ちなみに、この段階あたりで、祭られている当人は今後の対応について重要な決断を迫られることになる。応戦するか、隠蔽工作に走るか、逃亡するか、もしくは謝罪と反省の意を表明するか、だ。 応戦するのは最も愚かな行為である。「突撃」など実際の行動に及んでいる人間はそう多くはないとしても、「祭り」会場のスレッドを読んでいるだけの人まで含めれば、その参加者は万のオーダーに達しているかもしれない。それだけの人数を相手に、最後まで応戦しきれるわけがない。 また、「突撃」は自分だけではなく、知人や家族、関係者などにも大きな影響を及ぼす可能性がある。その

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    bluesy 2005/11/05