江戸時代、サツマイモ栽培を奨励して飢餓から住民を救い「いも代官」と親しまれた役人がいる。世界遺産、石見(いわみ)銀山遺跡がある石見国大森(島根県大田市)の代官だった井戸平左衛門(いど・へいざえもん)=1672~1733年。その功績をたたえて建てられた頌徳碑(しょうとくひ)は、中国地方4県で500基以上あるといわれ、一人の役人としては異例の多さだ。同市文化協会は、その碑の全容を明らかにしようと5月、公的機関では初めて本格的な調査に乗り出した。 享保の大飢饉 平左衛門は、江戸時代中期の享保16(1731)年、60歳で大森代官に着任。翌年の享保の大飢饉(ききん)では、被害に応じて年貢米を免除したり減免したりしたほか、幕府の許可を待たずに代官所の米蔵を開いて住民に米を与えたという。 一方、当時薩摩国(鹿児島県)からの持ち出しが禁止されていたサツマイモを入手し、栽培を奨励した。サツマイモは石見国から