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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (13)

  • 「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    タイトルは、よく、子ども叱るときにこう言っちゃいけないだろ、と言われる典型例の1つ。おじちゃんでなくても、おばちゃん、お兄さん、お姉さん、だれでもよいのだが。 よその人が叱るって言うんじゃなくてちゃんと親が自分自身で叱れよ、とか、よその人に叱られるからじゃなくて、どうしてそういうことをしたらいけないのか、ちゃんと親が説明しろよ、とか、子どもの躾に関係ない他人を巻き込むなとか、そういう文脈で否定されるものだ。 長らく自分もそう思っていたんだけれど、いざ子どもを叱る立場になってみると、どうしてもこの言い方を使いたくなるときもやっぱりある、ということがしみじみ分かってきた。 小さな乳幼児のうちはともかく、少し大きくなってきて6歳前後になると、叱る内容が複若干複雑になってくる。「危険だからだめ」「汚いからだめ」といった直感的に分かりやすいことだけでなく、「周りに迷惑だからだめ」「他の人が困るからだ

    「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2009/03/06
    『そういう事をすると嫌な気持ちになる人もいるんだよ』、でいいと思う。
  • ブログの断定口調 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ブログを書くときに、いやに気を回してしまうことがあるわけで。 なにかについての意見や見解を書く場合に、断定口調にするか、それとも「〜と思う」とか「〜と感じる」という文末を使うか。 基的に、個人のブログで一人が記事を書いている場合、事実や客観的現象(新聞記事などのようなものですね)を書いたのでない限り書いたものはその人が考えたり感じたりしたことであることは明白だと思うし、やたらに「〜と思う」を多用すると文章のテンポも悪くなり、読みにくくなるので、「〜だ」「〜なのだ」という断定口調を使うことも多々あるんですが。 そういう書き方って、誤解される場合もたぶんあるんでしょうね。なんか、それってまるで一般的事象や決定事項のように書いてるけど、違うでしょ、そうじゃないでしょ、とかね。 いや、そんなん、個人のブログに個人が書いてることなんで、私がそう思ったってことです、という前提があるに決まってるじゃな

    ブログの断定口調 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2008/10/21
    よくわかる!自分の場合断定できないものを断定口調で書くと違和感があるから絶対書かないんだけど、文章のテンポ悪いし鬱陶しい。割り切ってるけど。ホッテントリ狙う人は断定口調が良い。ツッコミ易いから。
  • 「育自」という言葉 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「『育児』は『育自』」という言葉が嫌いだ。 子どもを育てることによって、自分自身もまた変わって成長してゆくものである、という主旨は諸手を挙げて賛同する、というか、全くその通りだと思っている。 が、「育自」という字面が嫌いなのである。 「育○」という単語において、「育」は「(自然に)育つ」という自動詞ではなく、「(対象を)育てる」という他動詞として働くことが多い。例えば、「育児」以外にも、「育種」「育毛」「育英」など。 このため、「育自」という単語を見ると、とっさに「自分を育てる」と読んでしまうのだ。 ここで、私は引っかかってしまう。育てるのは、誰? 普通に考えると、育てるのは自分自身だろう。「子どもに育てられる」という言い方もあるが、これは現実には、子どもとの関わりや子育てという行為を通じて自ら成長する、ということであり、子どもが親の世話をしたり導きをしたり、ということではないので、あくま

    「育自」という言葉 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2008/06/20
    あーなんかわかる気がする。
  • 是か非か - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「○○は是か非か」という論調がある。「OKかNGか」と言い換えることもできる。 これの答えは、基的には「是」「非」の2つなんだが、これ以外によくある答えとして「条件付き是」というのがある。 例えば、「子連れで居酒屋は是か非か」という話なら、「連れてくること自体言語道断」という意見は「非」だし、「別にいいじゃない、人それぞれで」というのは「是」。「店の受け入れ状況によっては可」とか「個室なら可」とかいうのは「条件付き是」。 この「条件付き是」は一件「是」のように見えるが、実はベースは「非」である。 基的にはダメ、でもこういう場合だけはOK、というスタンスだからだ。 これの対極にあたる考え方は「条件付き非」。基的には是で、ただしこういう条件がある場合は非だよ、という順の考え方だ。 しかし、実際にいろいろ見聞きしていると、「条件付き非」の意見の述べ方をする人はあまり見かけない。 たしかに、

    是か非か - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2008/05/02
    「条件付き非」「条件付き是」うーん、同じだと思うけどな。
  • 「空気読めないの例」の解答例 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「空気読めない」の例を考えてみた - 深く考えないで捨てるように書くについて、自分の考えた解答例。 【問1】1行目のAの発言の時点で、場の空気はどうであったか。特に、ラーメン派とハンバーガー派について。 【解1】特に特定の空気はなかった。なにかべにいきたいな、というだけ。 【問2】4行目のBの発言で、「DはKY」とされている。このように判断したのは誰か。また、この時、その人物は場の空気はどのような状況と判断していたか。 【解2】判断したのはBのみ。彼は場の空気を「ラーメンべにいこう」だと考えていた。 【問3】問2の時、Dは場の空気をどのように判断していたか。 【解3】特定の空気はないと判断していた。 【問4】問2の時、BとD以外の人物は、場の空気をどのように判断していたか。 【解4】特定の空気はないと判断していた可能性が高いが、Bの「DはKY」発言の時点で、そうか空気はラーメン

    「空気読めないの例」の解答例 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2008/03/18
    空気を読む話って人によっては結構大きな問題なんだ、というのがわかった。でもこの場合空気読めない奴な可能性がかなり高いのはBだよね
  • 子どもを持つことと「若さ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    親にとって、子どもとは、すなわち「若さ」だ。 若さ、若さってなんだ! とつい歌いたくなるが、それはおいといて。 「若さ」には希望がある。まだ決定されていない行く末がある。無限の可能性、いや実際には有限だが、それでも親に比べればはるかに多くの可能性がある。 大人は、子どもを得ることによって、一度は失った「若さ」を再び手中にすることができる。 よく言われることに、子どもができると急に老け込む、という話がある。 同級生同士で久々に集まったとき、子どものいる人は妙に落ち着きがある、悪く言えば老け込んでいる。子どものいない人は既婚未婚に関わらず、若々しさを保っている。皆が皆ではないが、そういう傾向があるとは言われるし、実際そう感じることもしばしばある。 この理由として、子どもができると自分のおしゃれに構っている余裕がなくなるから、ということもまた言われる。それはそれで分からなくもない。しかし、男性の

    子どもを持つことと「若さ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/22
    ギャバン
  • 裸の王様は賢くなかったのかどうか - 深く考えないで捨てるように書く、また

    アンデルセン童話の「裸の王様」の話を思い出して、思った。 裸の王様は、「賢いひとにしか見えない服」を出されたとき、自分が「賢くない」ことがバレるといやなので見える振りをした。つまり、自分が「賢くない」判定に該当したことはこの時点で分かっているわけである。 しかし、よく考えてみると、自分と同程度、あるいはそれ以下の賢さの人間にはこの服は見えない、ということになる。ということは、この服を着てパレードをすることを想定すると、パレードを見る国民が自分(王)と比べて賢いかどうか、ということがポイントになる。国民が皆自分より十分賢ければ問題ないが、もし自分より愚かな者が多ければ、この服は国民には見えないわけで、結局恥をかく。 つまり、裸の王様は、自国民は自分より賢い者たちである、と判断したということになるのだった。 もしそういう判断ができていたのだとしたら、この王様、随分と謙虚で賢いってことじゃないだ

    裸の王様は賢くなかったのかどうか - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/17
    色々考えられそう。最初から全てを理解し、周囲の人間の反応を観察する為にあえて着た説とか。
  • 優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    よき読み手、優れた読み手という人たちが実はいるのではないか、と半ば都市伝説的に思っている。 文章を読む能力というのがある。識字や速読の話ではなく、ある文章を読んで、文意や文脈を過不足なく理解する力である。書いてある字面そのままでなく、ある程度行間や文脈全体の流れを読み取る。しかし自分自身の思い入れを入れ込みすぎて文章を誤解する、あるいは(無意識のうちに)勝手に自分流にアレンジして解するということはしない。そういうバランスの的確さをもつ能力である。 これを会得するのはかなり難しい。単に文章を多く読み込むだけでなく、言語に関する知識、人間の心理や人間関係に関する豊富な経験が必要になる。 しかし、優れた読み手になるには、そういった読解能力だけではまだ足りない。読解能力だけでは、ただ表現された文章の内容を的確に読み取れる、というだけである。そこにある情報は、書いた人がすでに持っているものにすぎない

    優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/12
    読む力がある人が良いものを沢山読んでいるとは限らない。得た知識を結びつけ素晴らしいものを生み出せるとも限らない。能力に関わらず表現をあまりしない人もいる。結局巨大な未知の金鉱はどこにでも存在しうる。
  • カラオケに行く - 深く考えないで捨てるように書く、また

    今日はニュースと関係ない私的ネタである。 上の娘が5歳、下の娘か2歳9ヶ月となり、かなりカラオケに追随して歌うことができるようになったので、最近になってちょくちょく家族でカラオケに行く。 それでいくつかの会社のものを試してみた、といっても田舎なので現在主流3社くらいしか近場にないが、その3つ、DAM、JOYSOUND、UGAで比べると、小さい子どもを連れて行きやすいなぁと思うのはJOYSOUNDだった。 UGAは10万曲を宣伝しているが、意外と子ども向きの曲は少ない。ポップス系は確かに充実していて、他社では入れていないようなアーティストの曲を入れてくれていたりするが。 DAMも正直寂しい。ぼちぼちとは入れているようだが、JOYSOUNDと比べると見劣りがする。 で、JOYSOUNDのいいところは、おかあさんといっしょやいないいないばぁっ!系がかなり充実しているところだ。ざっと見たところ、昨

    カラオケに行く - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/12
    行きたいけど煙草臭くて連れて行けない。子連れカラオケ・禁煙カラオケがあればいいのに。
  • 親が子どもにストレスをかけること - 深く考えないで捨てるように書く、また

    今月から下の娘が幼稚園に通うようになった。なんとかトイレトレーニングが間に合った。まだ完璧ではないが、小さい方はたいてい自分で行ける。大きい方はまだ心もとないが。先生、ごめんなさい。 1ヶ月前にはまだ、うまくトイレができないと自分で分かっているので、「布パンツはこう」と言われると「いやっ! 紙パンツ!」と主張し、「トイレ行こう」と言われるといきなり逃走してしまうような状況だったのだが、今ではすっかり自信がついたようで、何も言わなくても自分でプリキュアの布パンツ*1を出してきて、はく。 上の娘は、そろそろ欲が出てきたらしい。ヤマハ音楽教室に通っているのだが、幼児科1年目の終わりに差しかかり、弾く曲の難易度がだんだんあがってきた。最初のころは家で練習しなくても、週1回レッスンで練習する程度でだいたい弾ける程度だったものが、最近はその程度ではまともに弾けなくなってきて、家での練習が必要になってき

    親が子どもにストレスをかけること - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/12
    これは本当に悩む。あらゆる局面で。今だとトイレトレとかホント試行錯誤。
  • ごく自然に「群れる」子どもたち - 深く考えないで捨てるように書く、また

    かなり以前に宅ブログのほうでふたつとない日常: 子連れカフェがあったらいいのにという記事を書いた。 そこにも出てくるが、うちは田舎なので、親子カフェらしいものといえば、せいぜい遊び場つきの郊外型マクドナルドくらいである。それでもないよりはありがたいもので、今頃のように気候がよければ、昼ついでに軽く遊びに行ける。同じようなことを考える人は多いもので、今どきのようにどこの幼稚園も半日保育の頃には、昼時間帯を中心に親子連れで店がいっぱいになる。 当然遊び場も盛況で、そう広くもない遊び場の中をお互いぶつかるようにしながら、子どもたちが遊んでいる。 娘2人も楽しそうに走り回り遊び回っている。同じ場所を繰り返し繰り返し回りながら、いつまでたっても飽きる様子がない。ちなみに、ここの遊び場にあるのは、すべり台や回せるハンドルなどがついた、プラスチック製の複合遊具である。さほどスリルがあるものでもなく

    ごく自然に「群れる」子どもたち - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/12
    ほー、こういう視点は無かった。気にしてみよう。
  • 「喋りたい女と聞きたくない男」に関するメモ(未完) - 深く考えないで捨てるように書く、また

    痛いニュース(ノ∀`) : 「オンナの話はオチがない」…なぜ男性は“しゃべらない女性”が好きなのか? - ライブドアブログあたりから始まっている、「喋りたい女と聞きたくない男」の話。いろいろとふらふら考えたことはあるが、まとまらないので、箇条書きにしてメモしておく。 自分のこれまでの印象として、「すべての女がお喋り好き」はもちろん×。「お喋り好きに女が多い」も×な感じ、意外と口数の多い男性もいる(実際に知人で何人もいるし)。しかし「特に内容のない、あるいはなにかを伝えるという目的のないお喋りが好きな人は男性より女性が多い」というのはなんとなく○。男性でよく喋る人は喋るというより"語る"または"教える"という印象。言い換えると、お喋りすることそれ自体を目的として喋ることが好きな人は、男性にはあまり見かけず、女性に多いと個人的には感じる。 リンク先の記事でとりあげられているのは主にパートナー間

    「喋りたい女と聞きたくない男」に関するメモ(未完) - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/12
    一連のこの話題のエントリの中で一番しっくりくる。男の話だって別にいちいち大したオチなんて無いし。
  • 友人、友情、親友について。私の場合 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    suVeneのあれ: 当の友達を読んで、つらつらと。 中学〜高校くらいのころ。 自分にとっては、友人当の友人だった。以前ネット知人は友人にならないという記事の中でも書いたが、私は友人と認識する閾値が高い。その理由はここにある。ただ遊ぶだけの相手はただの遊び仲間、友人には該当しないと思っている。現実には、中高のころは、たまたま友人と認める相手しか遊び仲間もいなかったのだが、比較的少人数の部活をしていたこともなどもあり、たまたまそうなっただけのことだろう。 さて、では友人ってなんなのか、という話になる。 自分の場合、友人とは、何を言っても受け止めてくれる(と私が思う)相手であった。耳に痛いこと、きついこと、悲しいこと、やばいこと、基的に話すタブーのない相手だと考えていた。生死に関わることや性に関わること、自分自身の存在の意義に関わることなど。表現を変えると、言葉で殴り合うことができる相

    友人、友情、親友について。私の場合 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    bobokov
    bobokov 2007/07/11
    読んだらまた友達について書きたくなってきた。あとで書こう。←書いた。しかし線引きの位置はホント人それぞれで面白い。あと思い込みかもしれないけどこういうタイプは男の方が多い気が。
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