2016年6月30日のブックマーク (2件)

  • 剣の理法とは その2 | 浅見の独り言

    それだから話をするんですが、荘子の木鶏論というのは、ある軍鶏飼いの名人が王様のために(この)軍鶏を育てた。 そうして王様が「もう軍鶏のケンカが強くなったか。もうだいぶ訓練したから強くなったか。」と言うと、「まだダメだ、この軍鶏では勝てない」ネ。どういう程度であるかというと(板書)「一.虚驕にして気を恃む。」 虚驕(きょきょう)というのは内容はない。からっぽなんです。外(そと)だけこーう入ってる。気を恃(たの)む、ネ、それは。この力んでいるっていう人はね内容のない証拠なんです。内容がないと自分はグーッと、ね。 ところが剣道はネ、初めはこれですよ。20才くらいの時は、どーしてもこれからでないと入れない。「ヤー」て大きな声でも出さないと気合がはいらないんだもの、ネ、これでいいんです。最初はこれでいいんですよ。元気一杯カーッと張り切っててね。しかし、これではまだだめなんだ。自分の気が外にある、ネ。

    剣の理法とは その2 | 浅見の独り言
    bonze
    bonze 2016/06/30
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  • 剣の理法とは その1 | 浅見の独り言

    「剣の理法」って知ってるかい? 小川忠太郎範士九段が、盛岡で講習会をした時、解説してくれたよ。以前にここのブログで紹介したことがあったかもしれないけど、再掲します。長いからね。 昭和55年6月6日 全日剣道連盟地方講習会(於.盛岡市体育館) 講師 小川忠太郎9段範士(80歳)の「剣道の理念」についての講演テープよりの記録 「理法」。理法と言いますと、普通、マ、理合とか何かでと言ってもいいんですが、これもね単なる理合だけでは、ちょっとはずれるから、その上に「自然」と言う二字を入れると良くわかる。「自然の理法」、ネ。 自然というものは人間が作ったもんじゃありません。人間がいなくも春になれば花が咲く。秋には葉が落ちる。これが「自然の理法」。この「自然の理法」によってやる。ところが話をする上においては、分けられないものでも分けた方が聞く方は判りやすい。 剣道ですから、まず刀を持つからですネ、刀を

    剣の理法とは その1 | 浅見の独り言
    bonze
    bonze 2016/06/30
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