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2011年12月18日のブックマーク (4件)

  • 三省堂|生き方としての俳句 句集鑑賞入門

    ふつうの暮らしを送っている人間にとって、俳句を詠むことにどんな意味があるのか。虚子門(「ホトトギス」)の俳人たちの生き方とその句集に俳句表現の秘訣をさぐる。「句集」鑑賞の新しい手引書。 俳句の鑑賞は個々の句を読むことが基です。作者の名はあまり重要ではありません。「遠山に日の当りたる枯野かな 虚子」という十七音の言葉の塊を覚えていれば、作者を忘れても、この句を味わうことができます。 しかし、句集という形で同じ俳人の作品をまとめて読むと、一句だけの鑑賞では味わえない俳句の面白さが見えて来ます。(中略) 句集は俳人の個展です。題材や表現の傾向、作風の特徴や変化、俳人の人生や境涯を反映した軌跡です。句集は、俳句人生とが一体化した俳人の「生き方」そのものです。 書は、句集の鑑賞を通じて「生き方としての俳句」について考えていきます。 (中略) 俳句は日常の詩です。俳句は「宇宙の日常」を、客観的か

  • -CHUNICHI BOOK WEB-中日新聞・東京新聞に掲載された書評 話題の書籍を斬る! 『 食べる。』 中村 安希 「非日常」の土地に触れる儀式

    [評者]平松 洋子 (エッセイスト) ■「非日常」の土地に触れる儀式 「エチオピアにいる間、僕は事を楽しむことができないかもしれない」。旅の道連れの韓国人男性は主のインジェラを受け容(い)れられず、著者にこう吐露する。旅人の間で「ゲロ雑巾」と呼ばれるインジェラに、著者もまた馴染(なじ)めない。さらに彼は言う。「僕たちはこの国を好きになることができるだろうか?」 そもそも旅は日常を根こそぎ奪い去る。どんな旅であろうと、そこで平等に待ちうけているのは「非日常」である。しかし、旅先の選びかたによって、その内実はべつものだ。ぬるい旅なら愛想笑いで通るが、文化歴史も慣習も違うほど「非日常」は異物として襲いかかってくる。なかでも容赦のない攻撃を仕掛けてくる先鋭的な存在が、じつはべものだ。インジェラもそのひとつ。 書は「べる」という行為にまつわる人間のすがたを、旅の諸相を手だてに描く試みであ

  • 今週の本棚:五百旗頭真・評 『帝都復興の時代-関東大震災以後』=筒井清忠・著 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇五百旗頭(いおきべ)真・評 (中公選書・1470円) ◇美化された「後藤復興」の実像を洗い出す 関東大震災に際して山権兵衛内閣の内相となった後藤新平は、遷都を否定し、東京を立派な帝都とすべく大胆な復興計画を提起し、そのための立案機関・復興院を設立した。しかし都市計画によって私権を制限されることへの反発は強く、とりわけ地主層を背景とする政友会は、政治的画策をめぐらし、三カ月後の倒閣によって後藤を失脚させた。帝都復興の予算は、一気に後藤案の8分の1に縮小され、復興院も廃された。にもかかわらず、昭和通りをはじめ、後藤の提唱した帝都建設計画はある程度まで実施され、東京は首都らしいかたちを持つことができた。のみならず、全国の主要都市が近代的都市に生まれ変わるうえでのモデルとなったのであり、後藤の「大風呂敷」と呼ばれた帝都復興構想の意義は小さくない。 以上が一般的な理解ではないだろうか。それに対し

  • 今週の本棚・この人この3冊:塚本邦雄=穂村弘・選 - 毎日jp(毎日新聞)

    <1>百句燦燦(塚邦雄著/講談社文芸文庫/1365円) <2>定家百首(塚邦雄著/『定家百首/雪月花(抄)』所収講談社文芸文庫/1365円) <3>西行百首(塚邦雄著/講談社文芸文庫/1575円) 短歌や俳句や詩が読み難く感じられる理由は、それらが韻文という超アナログな言葉の連なりだからだろう。根的な解決法は読み慣れるしかないのだが、ひとつ特別な道がある。塚邦雄のから入る事だ。 戦後を代表するこの歌人は詩歌全般に亘(わた)る天才アンソロジストでもあった。秘密は超デジタルな「目」にある。その「目」を借りる事で我々も詩歌の謎が楽しめるようになる。言葉同士のアナログ的関係性への解像度が上がって、自力では見えなかった世界が見えてくるのだ。芸術は解(わか)るものではなく感じるものという云(い)い方があるが真に受けたくない。当に感じるためには解る事への意志が必要になると思う。 『百句燦燦