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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (5)

  • 原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー

    武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫(追記:このは『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。) いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。 「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ) この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめ

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  • 「配慮の平等」という視点 - hituziのブログじゃがー

    先日おみせした「識字のユニバーサルデザインにむけて」という文章ですが、なかでも注目していただきたいのが、石川准(いしかわ・じゅん)さんの「配慮の平等」という視点です。いしかわさんは、盲人のプログラマで社会学者でもあります。いしかわさんは何度も何度も強調して、表現をかえて「配慮の平等」という理念を提示しています。その姿勢はとても参考になるものです。いしかわさんは、つぎのように議論しています。 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。 たとえば、駅の階段とエレベータを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベータは車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エ

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  • 障害認識を 革命すれば「障害者」の表記など 問題ではない。 - hituziのブログじゃがー

    「障害認識の パラダイムを 転換すれば「障害者」の表記など 問題ではない」と表現しても いいです。 差別のマッチポンプ - E.L.H. Electric Lover Hinagiku うえの記事に 宿題を いただいていたのですが、ずっと反応できずに いました。うえの記事でid:y_arimさんは「障害者」や「障がい者」という表記の問題点を 指摘し、「障碍者」と表記することを 提案されています。 わたしは8月26日に、うえの記事に つぎのようにコメントしました。 「しょーがいしゃ」という ことばは、さまざまな たちばにある ひとが、つかっていますよね。名ざす側も、名ざされる側も。 名ざす側の倫理として議論するのも いいのですが、名ざす/名ざされるという関係を こえて、「名のる」ことばでも ありますよね。自称としてね。 どのように表記するにせよ、音にすれば全部「しょーがいしゃ」です。不具者な

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  • いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。 - hituziのブログじゃがー

    肉を たべること、そのために 動物を ころすことについて、何度か かいてきました。 「かわいそう」のバランス - hituziのブログ 無料体験コース わらって ころそう、ニワトリを! - hituziのブログ 無料体験コース シチメンチョウ(七面鳥)は すごかった - hituziのブログ 無料体験コース 「自分の手で殺せる生き物だけをべよう」(きっこのブログ) - hituziのブログじゃがー いろいろな感想を もたれるのは わかります。けれども、屠場(とじょう)労働者の立場も かんがえてみてほしいのです。だれかが「わたしは わらって ころせない」というとき、ただたんに そのひとの感覚を かたっているだけなら かまいません。けれども、「わらって ころす」ことを マイナスにとらえ、「涙を ながしながら ころす」ことを 美化したり、プラスに評価するようなことは、絶対にしないでほしいと お

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  • おそまつな選択肢(在日か、日本人か)。 - hituziのブログじゃがー

    「3世なの? それなら もう日人じゃん」。 ちょっと まってほしい。よくもまあ、あちこちで たくさんの「日人」が そういうことを おっしゃるけれども。 なんで、在日か、日人かの二者択一なんだよ。なに、その おそまつな選択肢。 だいたいが、在日って、いつまで そういう表現を つかいつづけるのよ。在日って、一時的な滞在をイメージさせるじゃないか。 「ざいにち(在日)」と いわなくても、「日に定住した朝鮮人」であるとか、「朝鮮系」であるとか、「朝鮮系日人」と表現できる。 日系ブラジル人という表現には、ほんとうに よく したしんでいるのに、朝鮮系日人という表現には接したことがないひとが、ほとんどじゃないだろうか。 「日人になる」、あるいは「日国籍をとる」なら 自分のなかの「日とは異質なもの」は すべて そぎおとすべきだという風潮が あきらかに感じられる状況のなかで、どうして、「そ

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