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ブックマーク / note.com/onoholiday (6)

  • ポリコレが抱える6つの脆弱性|小野ほりでい

    皆さん、ポリコレは好きですか?好きですよね、分かります。 ポリティカル・コレクトネスの主だった機能のひとつは端的に言えば善の普遍化、あるいはガイドライン化です。ご存知のように人間社会には、「上司の酒は断るな」とか「みんなが残業しているのに新人が帰ってはいけない」とか「無理にしなくてもよい、というのはしたほうがよいという意味だ」というような数々の不文律が存在し、私のように共感性に乏しい人間はこのような明文化されていないルールに翻弄されながら生活しています。 しかし、倫理的なルールを明文化する動きとしてのポリティカル・コレクトネスは基的にこういった「空気」的な概念と対立するものであり、なかでも「男ならこうだ」「女はこうすべきだ」といった差別的なものであれば批判的に検討可能にしてくれます。このために、私のように「空気を読む」のが苦手なタイプの人間は「書かれていないルール」を「書かれたルール」に

    ポリコレが抱える6つの脆弱性|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/12/04
    “同じテストをあるグループには「これは体力のテストだ」と説明し、またあるグループは「これは知力のテスト」だと説明” あっっ!!ステレオタイプ脅威だ!! 詳しい人来い!!!
  • サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい

    たかだか十数年前まで、私たちはSNSTwitterの「いいね」だの「フォロワー数」が何の意味もない幻だと”熟知”していた。しかし、そのたった十数年の間に、そこには信じられない速度で”意味”が付与され、一部ではもはやそれを除いては他に何も意味をなさないと言わんばかりに扱われるものになった。 意味のないものに意味が付与されるのに伴って、それまで意味を持っていた”何か”がその意味を喪失するという事態にも私たちは遭遇した。たとえば”サブカル”と略されるもの―――つまりかつてアニメやオタク文化までを含んで包括されていたメインストリームに抗う文化群のうちから、いまではメインストリームと化したアニメーオタク文化を除いたもの―――が表現されてきたコンテクストは急速に不可視化され、主流でない文化はそもそも何に抗っていたのか、どのような人々にどのような思いで支持されてきたかについて私たちは知る由もなくなりつ

    サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/11/14
    コミュニティの一生コピペに同意する人らがいっぱいいたのに「オタクがそういうものだったことは一度もない」ってすごいわね
  • 憎悪は自分を苦しめますねって話|小野ほりでい

    現代は個性の時代です。どこもかしこも「ありのままの自分を受け入れよう」というメッセージで溢れかえっています。言われてそれができれば苦労はないのだが、と私たちは思います。実際には社会に受け入れられるのは「生産性のある」人間だけではないか、と。 「頑張らなくていいよ」と歌手が勝手に許してくれます。そうしたいのは山々だが、そうさせてくれないのは社会じゃないか、と私たちは思います。そう言うのは簡単かもしれないが、頑張らなかった責任を取らされるのは結局自分ではないか、と。そうです、誰になんと言われて行動を取ったとしても、最終的に責任を取るのは自分です。 「そうはいっても仕方ないのだから」という事情で、私たちは自分の願望ないし主体性を捻じ曲げ、しまいには他者の要請するままに自己を最適化してしまいます。何をそんなに頑張っているのか、と問われた私は「頑張るしかないからだ」と答えます。そうしたいと自分で感じ

    憎悪は自分を苦しめますねって話|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/10/16
    仮に憎悪しなかったら苦しまないんだとして、どうやって憎悪なくすんやって話や
  • 非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい

    人間ははじめ無能の役立たずとして産声をあげ、そして遅かれ早かれ無能の役立たずになって死んでいくものである。人間の質を有用さと無能さのどちらに置くかで迷ったら、まず後者と考えて間違いないだろう。したがって、私たち人間は大なり小なり自分の無能さを受け容れなければ立ち行かなくなる時がやってくる―――無能な自分に対する否定的感情は、自分自身に対してか、それを転嫁された他人に対する攻撃として結末するだろう。相模原障害者施設殺傷事件などはその結末の一例である。 無能で役立たずな自分に対する愛情を私は自己肯定感と呼んでいる。しかし、無能で役立たずな人間に対する愛情のまなざしを示すもっと普遍的な名前がある。人権である。人権は、どのような人にも変わらない条件で一様に存在している。私が人権を、ほかの何を差し置いても最も偉大な発明だと感じざるを得ないのは、それが存在するという主張なしには存在し得なかったものだ

    非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/10/04
    “私たち非モテ男性は「女性はなぜ自分を好きにならないのか?」と自問自答し” モテないしモテるのを求めてない人の扱いが曖昧になってる。もうちょっと言葉の使い方練り直してほしいな♡
  • 感覚派ヒューマニストの世界|小野ほりでい

    インターネットによって席巻したポリティカル・コレクトネス的な善は、私たちが潜在的に持っていた性善説的な願望を打ち砕いた。ハラスメント、差別、偏見、ジェンダーバイアスといった議論が旧い世代にある種の衝撃と分断をもたらしたのは、これらが内包している「悪への無自覚」という視点のためである。これまで悪とはヒーロショー的な二元論によって管理されるもの―――つまり「悪人が・悪意を持って」なす所業とみなされ、「一般的な善人である私たち」と隔てられているものとして描写されてきた。 ポスト・ポリティカルコレクトネス時代の悪の議論は、「何も考えていなくても」なんとなく善人でいられた私たちに、これまで無自覚のうちに権威勾配の「上に」立っていたこと、知らないうちに差別や偏見を実践していたこと、あるいは階層的な構造に加担していることを自覚させ、悪が否認されたエデンの園から罪悪の蔓延る地上まで叩き落とした。ここで起こ

    感覚派ヒューマニストの世界|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/09/25
    >yoshizawa 法的な「悪意」って要は「意図的(善悪は関係ない)」だけど、お前が何を言いたいのか理解できない
  • 反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい

    どうやら、「反出生主義」と聞くと反射的に不快な感情を抱く人が多いようだ。確かに、内容をよく知らずに字面だけを見ると自分が不幸に暮らしているだけの人がその主観を人類全体に拡大して「産むな」と生命そのものを呪っているような印象を受けるかも知れないし、実際にそういう側面もあるだろう。生まれたこと、存在していることが幸福であるか苦痛であるかなんてその人にしか決められないし、場合によっては人にも分からない。しかしそれは逆に言えば、産んでおけば何がなんでも感謝してもらえるわけでもないということを示している。 それはともかくとして、どっちにしろこの反出生主義という考え方は時代にマッチしていてとても有用な側面があり、脊髄反射で否定するには勿体ない代物ではないかと思う。なにも反出生主義という立場に立って、その思想に同調しなくとも、視点として持っておくだけでよいのだから。 ”とりあえず”産むか産まないか

    反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい
    brightsoda
    brightsoda 2020/08/28
    生まれる前の空間がすごい苦痛に満ちてるとは考えないの?
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