日本はなぜ、中国の脅威を感じながらも適切な対抗策を取れないのか。作家の百田尚樹氏は、その背景には日本人の勘違いに基づいた「中国への憧れ」があると語る。 * * * 中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日本人の「中国への漠然とした憧れ」です。
●「4日間」の直接軍政が敷かれた館山● (愛沢伸雄・講演資料「足元から世界をみる—安房の歴史からさぐる」2004年) 【1. 戦後日本のスタートの地「館山」】 東京湾口に位置する館山は、軍事戦略上で重要であったので、アメリカ軍は本土決戦の上陸地点としてだけでなく、敗戦後の首都占領にむけての上陸地点とした。アメリカ政府は、アメリカ占領軍が「直接軍政」を敷いた沖縄を除いて、日本本土ではポツダム宣言にそって日本政府を通じた間接的な占領行政を指示していた。 しかし敗戦直後、アメリカ占領軍が最初に上陸した館山において「4日間」ではあるが、日本本土で唯一の「直接軍政」を指示したといわれる。なぜ館山がそのような事態になったかを当時の状況から振り返ってみる。 1945(昭和20)年8月14日、御前会議ではポツダム宣言を無条件で受諾することを決定した。翌日午前中、正午には「戦争終結の詔勅」が発布されたが、館
4日付のブログの投稿で、帰国していた長嶺安政・駐韓大使が韓国に戻ることに触れ、「慰安婦像を容認したことになってしまった」と指摘。慰安婦像の少女を「可愛いから」と述べたうえで、性的な侮辱表現を続けて使った。公式ツイッターも同様の内容を発信したが、つぶやきはすでに削除されている。 筒井氏は朝日新聞の取材に対し、「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」と明かす一方、「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」とも話している。 筒井氏はこれまで、社会的なタブーをあえて破る表現で論議を起こしてきた。今回のブログやツイッターに対し、ネット上では「筒井さんの作風」と擁護する声がある一方、「セカンドレ
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