利渉氏「米軍は、日本が非常にフレンドリーと認識していた」。 上陸地点近くの2氏 69年前の記憶たどる 昭和20年8月15日の終戦。その後の日本の混乱ぶりはいろいろ伝えられるが、軍都・館山には米軍が上陸、地元に緊迫した空気が走ったのはあまり知られていない。上陸地点近くに住んでいて、当時、助教諭だった高橋博夫氏(86)=元館山市教育長=や、後に航空自衛隊空将となる利渉弘章氏(76)=船橋市在住=が、当時の米軍の動きを調べ、地元・館山の対応ぶりを分析した。きょう30日は、米軍の館山上陸から69年目の日。 高橋氏と利渉氏は、米軍上陸地点近くの館山市沼に生まれ育った。高橋氏によると、軍都として大勢の日本の軍人がいて、15日の玉音放送後は大変な混乱だったという。 終戦翌日から日米両軍の調整があり、マニラ会議後、マッカーサー司令長官(元帥)が8月26日、厚木飛行場着、正式降伏調印は8月31日、東京湾内米