中国駐留軍をめぐる近衛首相と東条陸相の対立 1941年(昭和16年)10月2日、ハル国務長官から覚書のかたちで、9月25日の日本側提案に対するアメリカ政府の回答が示された。それは、三国同盟問題では日本側の姿勢を評価しながらも、より明確な回答を求めていた。 さらに、中国に軍隊を駐屯させる要望は容認しえず、日本軍の仏印および中国からの撤退を明確に宣言する必要があるとのことだった。また、日中間の地理的条件による経済的特殊関係の承認についても受け入れられないとしていた。 このハル覚書をうけ、10月5日、東条英機陸相は近衛文麿首相と会談した。東条は、アメリカの態度は、駐兵拒否、三国同盟離脱であり、これらは譲れないと述べた。 近衛は、駐兵が問題の焦点だ、「一律撤兵」を原則的には受け入れ、「資源保護などの名目で若干駐兵させる」ことにしてはどうか、との意見を示した。 東条は、それでは「謀略」となり「後害」