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ブックマーク / sionsuzukaze.wordpress.com (13)

  • 何重にも「残念」であることだけを只管繰り返し続けた御粗末な愚行と後始末

    何が問題なのかまったくわかっていない訳のわからない擁護論から批難論まで飛び交っていて、気が重いというかこういう記事はあまり書くつもりもなかったのだが、論点整理くらいはしておいても良かろう、ということで以下まとめてみる。 論点1:「どうして解散するんですか?」のサイトの何が問題だったのか。 この点でまず異論が無いであろうことの一つは「騙り」行為そのもの。小学四年生みたいなあたかも無垢を装うことそのものがそもそも駄目(なお、10代前後の多感な時期というのは、大人がそこにどういう視線を向けようが「無垢」どころか「無邪気な邪気」の時期でもあるし、そこに「無垢」だの「純心」だのを見出すのは大人の勝手な振る舞いである。その装いをしようという段階で既に浅ましいのだ)。「当時だったらどう考えたか」という言い訳をするくらいなら、「自分が小学校四年の時に感じていたことを思い返してみると」という前置きをしてその

    何重にも「残念」であることだけを只管繰り返し続けた御粗末な愚行と後始末
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/27
    例の小4なりすましの件/紫音さんにとっては、今回の解散に疑問を持つことは今度の「選挙そのものが実に意味も価値もない」とみなすことにつながるのだろうか。こりゃ「残念」をもう一つ追加してくれちゃったね…
  • 大衆運動としてのナチス、

    大衆の無関心がファッショを呼び寄せる、という言動がしばしば聞かれるが、これが誤りであることを以下に簡単にまとめてみよう。 もともとワイマールドイツの議会制移行後の投票率は常に極めて高い水準で推移している。1919年の83.o%をスタートに、もっとも落ち込んだ時期で1928年の75.6%、ナチスが格的に勃興する1930年代は常に80%以上、1933年は過去1年間で3回目の選挙にも関わらず、88.8%と最高値を示している。※史料により小数点以下の差異があるがどの史料も概ねこの数値 そして、1919年の選挙において、ボイコット戦術を展開した共産党に対して、社会民主党は37.9%の得票を得ることになった。明らかにワイマール期のドイツは「革命」でも「労働者政権」でもなく、「議会制統治」を選択している。事実社会民主党は明らかに労働者代表政党と言うよりは、大衆政党としての性格を持っていた。「抑圧する独

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/08/22
    WWⅠ前のドイツ政治をどう捉えてるのかが気になるな…/「それは「右傾化」や「保守化」とは到底言い難いものであった、とさえ言えるかもしれない」とあるが、やっぱナチズムはドイツ保守主義の一種だなという感想
  • マルクス・レーニン・共産主義についての拙稿

    犬沼氏から下記を頂戴したので拙稿を投下しておくことにする。 「マルクスの搾取論が間違ってたわけ」 大元はこれ。口は滑らせるもんじゃないですね、という好例であります(汗 少なくともマルクスやらレーニンやらって、変に歴史とか政治とかの未来確定的決定論による革命なんぞやらずに、来的意味での労働運動と労働闘争だけやってたら、あるいは今もこれほどに色あせて過去の人みたいには扱われなかったんでないかな、とも。資主義・自由主義の問題の着眼とかさ。 — 紫音@再びスカイリムの放浪者 (@sionsuzukaze) 2014, 4月 1 さて、予め断っておくと、「進歩史観を憎悪する問題 ツイート追加」ここのコメント欄にも書いたように、未来決定的(あるいは予言的)歴史観というのは、まったく個人的理由と動機により賛同しないので、決定論的階級闘争史観はまったくどうでも良いし評価もしていません。 同時に、マルク

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/04/10
    単なるサヨ嫌いとは一線を画そうとしてそう…と思って読んでいくと、「P.S.これ共産主義者や研究者から盛大に不勉強なり日和見主義なり剽窃者なりと言われるんだろうなぁ」というセコい追伸が待っていたw
  • 【独白】さようなら、保守

    さようなら、「保守」 というわけで、一応は保守を自称してきたわけですが、そろそろの名乗りは終わりにしよう、と考えた次第。 保守主義とは元来は近代化に対するアンチテーゼの一翼を担い、また急進的社会変革を求めず時に合理性の上に偏見を配して非合理であれ因習として培ってきた社会制度の中に伝統の存在を肯定をもしてきた、はずであった。 それは郷里・郷土とともにその地に住まい根付いた人々を同胞として共にそれらを実現するものとし、それ故に閉鎖的社会・村社会・排外主義とも隣接する危うい立ち位置でもあった。 これもまた、回顧趣味でもなく反動主義でもなく、漸進改良をも包含しない限り、ただの守旧と頑迷に留まるべきものをも内包するものでもあった。 然るに昨今の「保守」を名乗る界隈の動きや、またそれとは別にいくつかのやりとりを通じての「世間」とやらの因習の弊害が時にあまりに大きさの存在(同時にそれは「普通」とも称され

    【独白】さようなら、保守
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/02/08
    「昨今の「保守」を名乗る界隈の動きや、またそれとは別にいくつかのやりとりを通じての「世間」とやらの因習の弊害」を鑑み、自ら保守を標榜するのは控える…といった政治的立ち位置の配慮か。この正直さは買いたい
  • 日章旗、ナショナリズム、レイシズムなどなど

    自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 書く経緯となった発端はこのツイート。 ぼくは今でも「日の丸は記号にすぎない」という言説に強い反発を覚える方々からの反論のロジックを募集しています。せっかくなので直接コメントをいただければ。 — 金明秀 KIM, Myungsoo (@han_org) June 28, 2013 もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。 ■「日」と「太陽」と「日章旗」 日章旗について触れる前にこれについて触れておく。 「日」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/07/23
    ご本人が認めておられるようにまとまってない内容だが、日の丸への愛、そしてそれを嫌う人々への嫌悪という、二つの感情は強く伝わる。日の丸の意義を積極的に説くのはやはり不可能なのかね
  • ヘイトスピーチへの対処署名について

    ヘイトスピーチに対する相応の対処が必要な状況であることの認識は広まりつつあるように思います。 左翼、人権派はもとより、民族主義右派からも批難され糾弾されている彼らの行動は、党派・政治的ポジションの問題を超え、カウンターを生じさせています。 また、重ねて言いますが、彼らの行動は対象国に対して邦への国際社会における批難行動を正当化させ、来謂れ無き批難をもあたかもそれが正当であるかのようなロジックの要諦にも成りつつあります。 このような状況を放置することは、邦の道義・倫理に悖るだけではなく、実政治上も弊害にしか成り得ません。 宛先:東京都公安員会 東京都公安員会ヘイトスピーチ・デモの排除を目指して、新大久保から。 上記オンライン署名はすでに2100名の署名を集めています。 自分は当該事象に対して「ヘイトスピーチ規制法」のような新規立法を求めることについては否定の立場であり、その点においても

    ヘイトスピーチへの対処署名について
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/03/22
    この期に及んでもまだ「本来謂れ無き批難をもあたかもそれが正当であるかのようなロジックの要諦にも成りつつあります」という認識なのかね。甘くね?
  • 「朝鮮人をガス室に送れ」が愛国者の言動なものか

    続く「嫌韓デモ」 国会で排外・人種侮蔑デモ抗議集会開催 ここのところ新大久保やら関西方面やらで”愛国者”と自称するレイシストどものデモが劣化の一途を辿っていることは度々報じられていることであるが、とりあえず表題の「朝鮮人をガス室に送れ」は看過しがたいにも程がある(それ以外にも座視し難いものは多多あるが)。 「ガス室」がナチスの民族絶滅政策のひとつであったことは論を俟たないところではあるが、この言動はそれをモチーフにしている点に異論はあるまい。 かつてより自分はナチスの戦争犯罪(及び国内犯罪 ※ユダヤ絶滅政策は国内政策の意味合いも強い)と日戦争犯罪(及び植民地政策の瑕疵 ※ナチスドイツは植民地を基的には持たなかった点で大きく異なる)の差異において、例えば南京事件や半島統治政策において、ナチスの絶滅政策と日の統治政策・戦争犯罪とは異なる位相であることを度々表明してきた。これについては今

    「朝鮮人をガス室に送れ」が愛国者の言動なものか
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/03/18
    保守内部からの、ある意味で「戦略が悪い」的な批判だな/「より積極的」な「カウンター戦略」の内容が気になるので、書いてもらえるとうれしい
  • 排外主義反対に対する賛同表明

    2月17日予定の新大久保「反韓デモ」に対し、差別反対の意思表示をしませんか。 という次第であります。 昨今排斥運動(差別運動)も公然堂々と、あろうことか一般市民を標的として展開されるようになり、その言動も「殺せ」「殺される」といった憎悪のインフレーションを起こしている有様で、醜悪にして心やすからぬ状況であります。 その主義主張そのものは、あるいは政治主張のつもりでありましょうし、あるいは実際にはそのつもりがなく憤懣晴らす標的として選び易いものを選んだだけなのかもしれず、またその場にいる高揚感こそがそれを一層過激へと追いやっているのかもしれません。 しかしながら、あまりに見るに堪えないそれは、愛国の美名の下に許されるものではないと考えます。 その意味において、上記の動きについては全面的にではないにしても、その趣旨において賛同を表明しておきます(全面的に、でない点については割愛しますが)。 さ

    排外主義反対に対する賛同表明
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/03/05
    こんだけダラダラ書かないといかんのか。保守主義を標榜しながら排外主義に反対するのも中々大変なんだな
  • 原理主義になれない原理主義的何か

    脱原発運動の当初において、比較的大きな声は「怖い」という根源的心理的ものであったように思う。経済性に対する欺瞞や安全管理に対するあまりの杜撰さに対する批判もあったが、やはりその根は「恐怖」ではなかったろうか。いわゆる「危険性」への問い、という声と言える。 オスプレイを巡る一連のそれも、また「危険性」への問い、ということはできるように思う。その当初段階においては、であるが。試験飛行段階から実戦運用段階へと昇華する過程で格段に安全性が向上したとも言われるが(そうでなければなかなか大量配備には至らない性質のものでもある)。 その意味で、両者とも根としては同じ根っこを持っているように思えないでもない。が、しかし、と思うこともある。このどちらもが、付随する様々な問題(原発では廃棄物や耐用年数超原子炉の廃炉、オスプレイでは米軍基地の存在そのもの)を巻き込み、当初叫ばれた「危険性」というものはいささ

    原理主義になれない原理主義的何か
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/11/14
    相変わらず射程を広げすぎ。半分以下に削れる内容/なんでわざわざ「戦略が悪い」的な論にするのか、その理由を想像しながら読む
  • それでもおそらく橋下市長への支持は大きくは変わらない

    「電力や、需給関係がどういうものか、僕らの世代が身に染みて感じ、新しい電力供給態勢を考える上でも必要だ」 「関西だけでなく、日全体の電力供給体制の問題。関西も自分たちで十分にやるが、関西の危機を日の危機と捉えてもらいたい」 これは橋下市長の言である。 過去に「原発は無くても電力は足りる」「関電が隠している電源がある」と発言してきた人間と同じとは思えない豹変ぷりだが、軌道修正の気配は少し前から出ていたので、今さら驚くには値しない。 実際問題、大飯原発を動かそうが依然として電力供給量は綱渡りの状態であり、動かさなければ大規模な供給不足に陥ることは目に見えている。 「原発なくても足りる」⇒「関電は電力隠してる」⇒「需要予測が信頼できない」⇒「節電すればなんとかなる」⇒「不足時の対策を考えない政府が悪い」⇒「みんなで経験しようぜ!」←New! — 紫音/小早川裏切り、ほぼ確実西軍情報さん (@

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/05/18
    こういうやり方も結局メディアに甘やかされてないとできない/極力隙を作らないようにということなのか、それとも関連することは全部言いたいだけなのかは知らないが、はっきり言って文章が無駄に長い
  • 表面的愛国心に拘る狭量 ~国旗・国歌の問題に寄せて~

    国旗・国歌の強制。 またぞろ阿呆な連中が阿呆なことを画策しているので、再びここで強制に反対の旨を表明しておくことにする。 以前と同じことを書くのも芸が無いので異なる方向で書いてみよう。 第一 強制することで愛国心などは芽生えない 最も重要且つ質的問題だが、強制されて国歌を歌おうが国旗を掲揚しようが、そんなものでは断じて愛国心など芽生えない。芽生えるはずがない。 もしそれが芽生えると言うのなら、試しにそれを求める人間を何人がピックアップしてインターナショナルを徹底して強制し、それによって共産主義者になるかどうか試してみれば良い。 強制は反発を生む。それは自明のことでさえある。面従腹背の場合もあろう。 形がいかなるものであれ、強制などしても得るものなど一つもない。 教員の口元を観察するなど阿呆の極みである。 口を動かしていれば愛国者なのか?歌っていれば愛国心があるのか? そんなチンケな愛国心

    表面的愛国心に拘る狭量 ~国旗・国歌の問題に寄せて~
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/04/03
    君が代・日の丸に愛着を持つ立場からの強制反対論。「君」の解釈論が無茶な点を除けば割と穏当/ところどころに入る反君が代・日の丸や反天皇制への揶揄から透けて見えるものが面白い
  • 整理とまとめ

    まず亜門さん(id:D_Amon)とのいろいろなやりとりの中で、お互いに諒解しているだろうコンセンサスの部分。 1:イスラエル軍のガザに対する攻撃において白燐弾が使用されたこと。 2:同兵器には燃焼性(焼夷性)が存在すること。 3:同軍が同兵器を民間人が居住する市街地に打ち込んだこと。 4:3の行為が国際法に基づき違法である可能性が高い、もしくは違法であること。 5:イスラエル軍の起こした戦争被害については周知されるべきこと。 次に、コンセンサスは取れていないかもしれないものの、恐らくは最終的に一致していると考えているもの。 1:白燐弾の現行法での規制は十分ではないこと。 2:同兵器に対してなんらかの新しい規制が設けられるべきこと。 3:過去においても同兵器の使用は、適法とする形での「名分」を喧伝しつつ、実態がそうではなかった例はいくらでもあること(米軍等)。 4:白燐弾そのものは過去から

    整理とまとめ
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2011/12/13
    やっぱ最後に皮肉を言わずにはおれなかったのかな~と
  • 大臣の椅子の耐えられない軽さ

    かつてマキャベリは「われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすれば実害が少なくて済むか、ということだ」と述べた。 昨今の極めて軽い首相・大臣職の椅子が、今日また一段と軽くなった。 鉢呂氏が大臣を辞任したそうである。 失言とされたのは下記の2点。 「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」 「やっぱり、ひどいと感じた。放射能をつけたぞ。いろいろ回ったけど、除染をしないと始まらないな。除染をしっかりしないといけないと思った。」 というものである。 人の弁明はどうでも良いとして、前者については修辞的意味として、現状では確かにそう譬えてもおかしくない状況ではあるが、帰郷を願う声が高まる中(それの実現可能性は別問題として)、デリカシーが無い発言とされても仕方がないように思える。 後者についてはもはや子どもレベルの問題であるが、この表現が質的には「放射能

    大臣の椅子の耐えられない軽さ
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2011/09/12
    書いてくうちに言いたいことが増えていくのか、sionさんの文は長めになりがちだな
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