笹川紀勝・李泰鎮編著『国際共同研究 韓国併合と現代――歴史と国際法からの再検討』に、荒井信一氏の論文が二篇載っている。「韓国「保護国」化過程における軍事と外交」と、「日本の対韓外交と国際法実践」である。 前者で荒井氏は、「日本の韓国植民地化のプロセスは当初、「保護国」化過程として進行した」という点に着目し、日本が国際法の役割や制約を十分意識しつつ、フランスによるチュニス(チュニジア)保護国化の先例を参照しながら、韓国(大韓帝国)保護国化を進めていったことを明らかにしている。 フランスがチュニス(チュニジア)と保護条約(バルド条約)を締結したのは一八八一年であり、「保護国」という用語自体が政治外交用語として使われるようになったのはそれ以来のことだった。一九〇四〜五年当時の日本にとっては、「せいぜい一〇数年前から」の「最新の流行」のように見えたわけである。 当時の国際法が征服戦争を合法としてい