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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (2)

  • 国土開発計画をめぐって - heuristic ways

    このところいろいろと忙しく、なかなか腰を据えてを読む余裕がないが、少しずつ鎌田慧『六ヶ所村の記録――核燃料サイクル基地の素顔』上・下(岩波現代文庫、2011年、原著1991年)を読み進めている。 とりあえず、1「開発前史」から4「開発幻想」まで読んだところだが、ここまでは1970〜71年頃の取材記事が基になっているらしい。 鎌田氏は1970年3月、「あるちいさな経済雑誌の依頼で、この基地の町で突如としてはじまった開発ブームを取材するため」に、青森県三沢市を訪れる。その前年、69年5月末に閣議決定された「新全総」(新全国総合開発計画)では、「一方、小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺ならびに八戸、久慈一帯に巨大臨海コンビナートの形成を図る」という二行で、この地域の将来がラフにスケッチされていた。  迂闊なことに、私は先日図書館で鎌田慧・斉藤光政『ルポ 下

    buhikun
    buhikun 2012/09/13
    全総路線の総括が正しくなされなかったことが、自民党のインフラ投資再生の悪夢につながっている。/ちょっと出てくる下河辺淳http://tinyurl.com/3u55m7 が、「全総村」の首魁orz
  • 「保護国化」の先例――フランスのチュニジア支配 - heuristic ways

    笹川紀勝・李泰鎮編著『国際共同研究 韓国併合と現代――歴史と国際法からの再検討』に、荒井信一氏の論文が二篇載っている。「韓国「保護国」化過程における軍事と外交」と、「日の対韓外交と国際法実践」である。 前者で荒井氏は、「日韓国植民地化のプロセスは当初、「保護国」化過程として進行した」という点に着目し、日が国際法の役割や制約を十分意識しつつ、フランスによるチュニス(チュニジア)保護国化の先例を参照しながら、韓国(大韓帝国)保護国化を進めていったことを明らかにしている。 フランスがチュニス(チュニジア)と保護条約(バルド条約)を締結したのは一八八一年であり、「保護国」という用語自体が政治外交用語として使われるようになったのはそれ以来のことだった。一九〇四〜五年当時の日にとっては、「せいぜい一〇数年前から」の「最新の流行」のように見えたわけである。 当時の国際法が征服戦争を合法としてい

    buhikun
    buhikun 2011/01/13
    福沢諭吉の開花啓蒙主義とアジアへの視座を想起/※欄のブログ主の問題意識がかっこよさすぐる。自分の問題意識もある程度は重なり合うが(^(00)^;;
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