タグ

歴史と学問に関するbuhikunのブックマーク (4)

  • 「聖戦」批判、「紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後:朝日新聞デジタル

    東京大名誉教授(社会人類学)の中根千枝さん(89)は1947(昭和22)年に入った東京大文学部で、研究生だった三笠宮さまと一緒によく同じ講義を受けた。 ほかの学生たちが遠慮がちに接するなか、中根さんは隣の席に座った。「宮さまが公務で授業を欠席すると、私が自分のノートを貸したり、私が遅刻すると、宮さまが『きょうはここまで』とノートを見せてくれたり。普通の友人のように接していただいた」と懐かしむ。 戦争に対する反省、一般の人々への接し方、そして学問への探求心――。三笠宮さまの振る舞いに対して、中根さんは「縛られない自由さ」を感じていたという。「それは、特別な地位にあったからであると同時に、精神の純粋さがあったからでしょう」と話す。 その純粋さは、言動にも表れた。 戦後、2月11日が「神武天皇即位の日」だとして戦前の「紀元節」を祝日として復活させようという動きに対し、三笠宮さまは歴史学者の立場か

    「聖戦」批判、「紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後:朝日新聞デジタル
    buhikun
    buhikun 2016/10/27
    青木書店の雑誌に寄稿していた三笠宮はガチ。 https://goo.gl/js7UAd
  • 【国際ビジネスマンの日本千思万考】「天は人の上に人を造らず」の意は「四民平等」にあらず、不満ばかり口にする国民への批判だ…今に通じる福沢諭吉「学問のすすめ」(1/5ページ) -

    国は「支える」もの 「立国は私なり。公に非ざるなり」とは、福沢諭吉晩年の著書「痩せ我慢の説」の冒頭に書かれた一文です。「政治家や官僚は国からお金を貰っているのだから、国家のために尽くし働くのは当然である。しかし一般の国民が、私立の会社や機関が、国家のために貢献しようと努力することこそ尊く、それがあってこそ国家は繁栄してゆく。つまり国を支えてゆくのは、志を持った国民一人ひとりである」と福沢は説いています。 まさしく「国は頼るものでなく、支えるべきである」との信念から、明治新政府からの再三再四の懇願を退け、生涯政府の中に入ることなく、野にいて、民の立場で国を支える立場を貫き通しました。 ところが、今の時代は「国は頼るべきである」という考えが横行しており、何かあると、二言目には「国が何もしてくれないから」と口にするだけでなく「学校が、あるいは企業や組織のリーダーがダメだから」などと独善的・利己的

    【国際ビジネスマンの日本千思万考】「天は人の上に人を造らず」の意は「四民平等」にあらず、不満ばかり口にする国民への批判だ…今に通じる福沢諭吉「学問のすすめ」(1/5ページ) -
    buhikun
    buhikun 2014/03/29
    さすが国際ビジネスマン、植民地思想が好き(はあと
  • しろうとは歴史学をどう見るか - デマこい!

    中高生のころから歴史が苦手で、成績は低空飛行を続けていた。とにかく興味を持てなかった。最近になって、ようやくその理由が分かってきた。 中学・高校での歴史は「誰が」「何をしたか」を重視しすぎなのだ。 ある生物集団の生態を調べる場合、どの個体が群れのリーダーであるかはあまり重要ではない。むしろ分析対象となるのは環境と個体群との相互作用だ。ヒトの研究も、そうあるべきではないか。 だから私の場合、人類史や、それに関わる経済学的な視点を持ったことで、ようやく歴史に興味を持つことができた。生態学とは、生物と環境との経済を研究する学問だ。経済学的な視点を得たことで、ようやく歴史研究を科学の一端だと認識できるようになったのだ。 だから私は、どこの国のどの政治家が何をしたとか、何を言ったとか、あまり興味がない。その人がいなかったとしても、似たような誰かが似たようなことを発言していたのではないか……と思うから

    しろうとは歴史学をどう見るか - デマこい!
    buhikun
    buhikun 2012/09/02
    わかりやすい痛快な歴史は、大衆の渇望するもの(歴史小説の氾濫を見よ!)。しかし科学者たる歴史学者は、これに迎合せず学問の厳しさに耐えねばならない。
  • 「橋下は」ではなく「私は」何をするのか、と言いなおしていく - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    橋下大阪市長が、新しい仮想敵として、「学者」を設定している。「学者は現実を知らない」というのがスローガンである。学者なんてカテゴリーは、来はあまり意味をなさない。在野の学者もいるし、運動に加わっている学者もいるし、国際政治の裏側で動いている学者もいるし、アカデミズム内の政治ばかりしている学者もいる。けれど、橋下さんは、そうした現実を捉えるわけでもなく、なんとなく世の人が抱く「学者は暇そうで、好きなことばかりしていて、専門バカ」というイメージと、それに対する怒りや反発、嫉妬をつなぎ合わせて、見事に「学者がダメだから世の中ダメなんだ」という気分を盛り立てている。 学者の側が苦しいのは、半分は当だからである。現場のことを知らず、放言している学者は山ほどいる。私の学者に対する恨みは、橋下さんの比ではないくらい深い。だけれども、私は「学者が学者だから」問題があるのではなく、大学という制度が問題を

    「橋下は」ではなく「私は」何をするのか、と言いなおしていく - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    buhikun
    buhikun 2012/01/17
    ブレヒトの「異化効果」的視角はメタ的で、批評としての意義は大であると思うが、ブレヒトがヒトラーを倒せず亡命した史実に鑑みるに、もにょるorz
  • 1