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歴史と災害に関するbuhikunのブックマーク (5)

  • 守護がでかい問題

    鎌倉時代初期、東国において政権を確立した源頼朝によって設けられた守護職は、軍事・警察的な権限を持つのみであり、地域統治の権限は依然として国司にあった。 後年、鎌倉幕府が滅び室町幕府が成立すると、室町幕府はその守護制度を踏襲する。 しかし守護は、次第に国司の権限をも包摂し、独自の領国支配を固めていくようになる。このようにして広域領主化した守護を「守護大名」といい、守護大名をトップとした地域支配体制を大名領国制と呼ぶ。 広域領主として実権を握った守護に対し、足利将軍家の影響力は薄れ、室町幕府は守護大名による連合政権の様相を呈していく。 さらに肥大化した守護大名たちは互いに自己の利益を追求して相争い、応仁の乱に代表されるような戦乱を巻き起こすようになった。 これを「守護がでかい問題」と呼ぶ。 そして、守護がでかい問題に対処し切れなかった室町幕府は衰退し、日は戦国時代に突入していったのである。

    守護がでかい問題
    buhikun
    buhikun 2016/05/25
    ネット民「由布院あたりも被害が酷いのに熊本地震って、肥後がでかすぎる!」くまモン「...」
  • 日本人だって状況が許せば略奪くらいする。当たり前だが。 - 読む・考える・書く

    東日大震災の後、実に気持ち悪かったのが、発災後まだ10日も経っていない頃から、「日人はこれほどの災害の中でも略奪もせずにきちんと並んでいる。外国人が褒めてる。日人すごい!」といった自画自賛がネットを中心に溢れていることだった。しかも、被災もしていない人間が、安全な場所からそうした言説を垂れ流して悦に入っていたのだからなおさらである。 しかし、日人だって、もちろん物資が欠乏した状況下で警察力が崩壊しているような事態となれば、略奪でも何でもやらかす。その典型的な事例を、関東大震災時の横浜に見ることができる。 内閣府中央防災会議 『1923関東大震災報告書 第2編』: 2  略奪事件と警備 大災害に際して略奪事件が発生することは、その後の外国の災害に際してもたびたび報じられる。関東大震災時に、略奪が広範囲に発生したのは横浜であった。『横浜市震災誌  第一冊』によれば、9月2日に焼け残った

    日本人だって状況が許せば略奪くらいする。当たり前だが。 - 読む・考える・書く
    buhikun
    buhikun 2015/01/19
    「日本人は犯罪しない!」は「美人はうんこしない」と同断(呆
  • M9級・超巨大地震!2000年前、巨大津波か : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。 高さ10メートル超となった東日大震災の津波でも、堆積物の厚さは5〜7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日大震災のような巨大地震が300〜350年周期で起き、大きな津波も発生している。 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだった

    buhikun
    buhikun 2011/04/26
    東南海と南海の連動が最悪のシナリオ。伊方が心配。何ぞの時には瀬戸内全域が危険かと。
  • あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集

    1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震、それが「阪神・淡路大震災」です。 この大地震が発生した直後のNHKの第一報、さらにその後、夜が明けるにつれて少しずつ判明していく被害の実態、関東ではあっという間に特番体制からCM放送ありの通常放送に移行したものの、関西ではその後も延々と地震関連情報が流され続けていたこと、そのときのACのCM、世界中で報道されたNHK神戸放送局で地震に見舞われた男性のその後、さらには淡々と流れ続ける当時の状況を記録したラッシュテープなど、いろいろと集めてみました。 真実の姿の再生は以下から。 YouTube - 阪神大震災第1報(0:33) この時、ちょうど大阪にいたのですが、すべての器棚が倒れ、すさまじい轟音とともにすべての電気が停止、最初は地震だとは全くわかりませんでした。停電していたので家の中で何が起きているのかもわからず、とにかく懐中電灯を

    あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集
    buhikun
    buhikun 2011/01/16
    役所の出先におったが、この日と9・11の日は休憩室のテレビ垂れ流しであった/どちらも「終わりの始まりや…」と思った(あわせて小泉訪朝の時も)。
  • 阪神・淡路大震災から15年 - 瀬戸智子の枕草子

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