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自由に関するbuhikunのブックマーク (6)

  • 【正論】もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(1/6ページ)

    柳父(やなぶ)章氏の『翻訳語成立事情』は小著ながら圧巻である。そこには、個人、社会、近代、自由等々の西洋起源の観念をいかにして日語に移し替えるかに試行錯誤を重ねた福澤諭吉や中村正直など、往時の知識人の苦闘が鮮やかに描き出されている。 日には存在しなかった観念 インディビデュアル(individual)は現在ではごく普通に「個人」として使われているが、この言葉が導入された頃の日にはそういう観念は存在しなかった。神や社会に対する究極的な単位として、それ以上は細分化できない唯一の存在といった意味での個人が、かつての日になかったことは柳父氏のいう通りであろう。当時、日人は社会の「身分」として存在はしていても、個人としてではなかった。

    【正論】もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(1/6ページ)
    buhikun
    buhikun 2016/05/04
    【超訳】そもそも「個人」だの「主義」だのいう概念は、明治期に西周や福沢諭吉が造語して広めたものだから、NHKは要潤を明治時代に派遣して西と福沢を暗殺すべき(爆
  • 「キリッ」について - apesnotmonkeysの日記

    http://d.hatena.ne.jp/quagma/20110105/p1 こちら↑を拝見して。 私は、このエントリーおよびコメント欄において言われている「表現の自由キリッ」について、その意味するところがいまいち把握しきれない感があった。しかし、今回のやり取りを通して、私は「ああ、これか」と思ったのである。 「表現の自由キリッ」っていうのは、来「表現の自由」の出番ではない場面で「表現の自由」によって自己の行為を正当化できると考えるズレた振舞いを揶揄した言葉なのではないか。 別段このような理解に異を唱えたいわけでもなく、また言うまでもなく「表現の自由キリッ」の定義に関して私が特権的な立場にあるわけでもないけれども、まあこれもなにかの縁と思ってこの機会に私が「キリッ」にどのような意味あいをこめているのか説明しておこうかな、と。 この表現の前提になっているのは次のような認識です。 法規制

    「キリッ」について - apesnotmonkeysの日記
    buhikun
    buhikun 2011/01/05
    テクニカルタームを使いますが、およそ人権には「内在的制約」=他人権との衝突における制約がありますから、「紐付けのない自由」なんてありませんわ。そらそうよ。
  • はてな

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    buhikun 2010/12/03
    野球やFootballの試合を最初からしまいまでよう見られるなあと思ったが、そういえば黙って見とるヤシなんかおらんよな(^(00)^;;
  • 「え、独身じゃないの?」 - 北沢かえるの働けば自由になる日記

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    buhikun
    buhikun 2010/11/14
    ええ、独身じゃないですが、何か?いい年こいて仕事やめて学校に入ったら、すっかり家族関係冷却しました(^(00)^;;
  • ぼくリバタリアン! - シートン俗物記

    この間のエントリー上げてから、なんかまだ下らない事を書き連ねているなぁ。 何が「善」であるかは必ずしもはっきりしないが、何が「強制」であるかははっきりしている http://mojix.org/2010/10/18/zen-kyousei 私にとっては、「人類の質」よりも「自由」のほうが明快な概念である。何が「自由」で、何が「強制」かは、子供でもわかると思う。「人類の質」が何かはわからないが、それに「自由」に反する部分があるのだとすれば、それこそ悲劇を引き起こす要因であり、理性によって抑え込むべき部分ではないだろうか。 リバタリアニズムは「善」を否定していない。リバタリアニズムが否定するのは「強制」である。何が「善」であるかは必ずしもはっきりしないが、何が「強制」であるかははっきりしている。何が「善」なのか、何が「人類の質」かといった「質論」を問うことなしに、現実の「強制」に反対す

    ぼくリバタリアン! - シートン俗物記
    buhikun
    buhikun 2010/10/30
    『単純に「自分の好き勝手にさせろ」と言っているだけ』だったら、リバタリアニズムではない。それは“ジャイアニズム”!\(-_-;) オイオイ
  • 自由をわれらに - Arisanのノート

    きのうたまたま、「天声人語」のこの文章を見つけて読んだときには、正直あまりのひどさにショックを受け、何を言えばいいのかも分からなかった。 今日ほかのところを見たら、この記事を非難してる人があったので、それに勇気付けられて自分も書いておく。 http://www.asahi.com/paper/column20101019.html 欧州あたりで「嫌米」のデモが荒れると、しばしばマクドナルドの店舗が襲われる。米国のグローバル支配の象徴というのだろうが、店員や材の多くは「国産」だ。籍に執着の薄い国際ブランドが、右代表としてやられるのは皮肉である▼中国内陸部の地方都市で、反日を叫ぶ群衆が暴れた。「坊主憎けりゃ」で、パナソニックの電器店やトヨタ車も壊された。政府間では落ち着くかに見えた日中の対立。外交から街頭へとなれば厄介だ▼騒いだのは愛国教育を受けた世代という。就職難など、色んな格差への不満

    自由をわれらに - Arisanのノート
    buhikun
    buhikun 2010/10/21
    「自由をわれらに」と聞いて、「ノー、パサラン!(奴等を通すな!)」を想起/真の自由を勝ち取るために、モア・スピーチで乗り越えるべき“後ろ向きの言論”がある。この峠を越えてこそ夜明け。
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