タグ

2011年1月3日のブックマーク (3件)

  • Gazing at the Celestial Blue 7周年が過ぎ

    7年前の12月29日、小さい縞々のお嬢さんが、我が家の一員に加わった。  当初の彼女に関しては過去記事で何度か言及したかと思うが、人間が怖くてたまらない野生児で、最初の最初は、坊ちゃん相手ですらお互いにふーしゃー言ってたので、なじんでくれるかと気で心配したが、先住の坊ちゃんの方が先に受け入れた。最初は隠れ家に提供した箱に引きこもっていた彼女は、4日目には引きこもりを止めて居室の探検を始め、5日目から坊ちゃんと一緒にコタツ生活を楽しみ初め、2週間もしないうちに坊ちゃんと毛繕いのしあいを始めた。 同士はともかく、人間に怖い目にあわされた経験をもつらしい彼女は、家族になった人間でも当初はやっぱり怖かった。人間が座っている間ならすぐ傍に寄り添いに来るようになってからも、人間が所用で経つ度にあたふたと逃げ惑う。尻尾を垂らした姿勢の低い匍匐前進で逃げていく彼女を見ながら、下僕はもの悲しい思いに

    buhikun
    buhikun 2011/01/03
    誰かが「誰にとっても幸せな新年なんてありえない」と書いていた。浮かれていた自分に頂門の一針になった。ご冥福を祈ります。
  • asahi.com(朝日新聞社):八雲が愛した森の都 軍都・学都 明治の熊本 - 社会

    小泉八雲熊旧居。屋内には、作品を解説したパネルもある=熊市安政町カラフルなひさしに覆われた子飼商店街=熊市赤れんがが鮮やかな五高記念館=熊市黒髪2丁目    熊市はかつて九州の中心であり、軍都、学都として栄えた。そのころの熊に暮らした1人の外国人文学者の足跡をたどりながら、街を歩く。  出発点は熊駅。同駅は1891(明治24)年、九州鉄道が熊まで開通した際に春日停車場として開業した。  この年、できたばかりの停車場に降り立った1人の外国人がいた。「雪女」「耳なし芳一」などで知られる明治の文学者であり、ジャーナリストでもあった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だ。約3年間を熊で暮らした。  熊駅前からバスに乗り、市役所前の停留所で降りて熊城へ。城入り口の須戸口門近くの看板には、「九州の電気事業発祥の地」と書かれている。  八雲が来熊した年、熊電燈会社が開業。熊城内に火

    buhikun
    buhikun 2011/01/03
    へるんさんは松江の冬の寒さに耐えかねて熊本に移ったげな/今回は熊本も相当の積雪あったと思われるが(^(00)^;;
  • <大雪>鳥取県内で小型漁船約200隻沈没 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    山陰地方で大みそかから1日にかけて降った記録的大雪の影響で、鳥取県内では、日海沿いを走る国道で車約1000台が42時間立ち往生したりJRの特急など18が最大34時間も動けなくなるなどしたほか、係留中の小型漁船約200隻が沈没、停電も発生した。島根県内でも集落が孤立するなどした。 【陸上では車が立ち往生】大雪で車が立ち往生 鳥取の国道9号 鳥取県大山町の国道9号で31日午後2時ごろ、タンクローリーがスリップして上下線をふさいだ。事故処理中にも雪が積もり、他の車も動けなくなり、渋滞は最大で約25キロ、1000台に達した。帰省中の家族連れも多く、少なくとも約2000人が巻き込まれたとみられ、2人が体調を崩して病院に運ばれたが、いずれも軽症という。動けなくなった車の撤去作業は2日午前8時半ごろ完了し通行止めが解除され、渋滞は約42時間ぶりに解消した。 JR西日によると、JR山陰線や伯備

    buhikun
    buhikun 2011/01/03
    陸路空路はチェックしていたがこれはなかったorz(ちなみに山陰の旅客航路は隠岐汽船と韓国東海行きフェリーのみ(^(00)^;; )