最初に、治安維持法の犠牲になった著名人のひとり、小林多喜二の年譜から、その最期の説明を紹介しよう。 http://www.takiji-library.jp/takiji/history/*1 1933年 (昭和8年) 2月20日、正午すぎ、赤坂福吉町で連絡中、今村恒夫とともに築地署特高に逮捕され、同署で警視庁特高の拷問により午後7時45分殺さる。検察当局は死因を心臓まひと発表。解剖を妨害し、22日の通夜、23日の告別式参会者を総検挙した。 小林多喜二の遺体は、墨と紅ガラで染めあげられたかのような姿になっていたと伝えられている。 拘留中なので小林多喜二は獄死ではない主張する人がいるだろうか。起訴される前に死んだから治安維持法の犠牲者ではないという人がいるだろうか。 前回、大屋雄裕教授*2が治安維持法の逮捕者数と送検者数を間違えているのではないかと指摘した。 治安維持法の犠牲者数について、大