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2014年2月18日のブックマーク (2件)

  • 誤認逮捕の男性が賠償求めて提訴 大阪地裁 NHKニュース

    盗まれた給油カードでガソリンを入れたとして逮捕・起訴され、その後、事件とは無関係だったことが分かった大阪・堺市の男性が、違法な捜査で精神的な苦痛を受けたとして、国と大阪府に1100万円余りの賠償を求める訴えを起こしました。 大阪地方裁判所に訴えを起こしたのは、大阪・堺市に住む42歳の会社員の男性です。男性は去年1月、盗まれた給油カードでガソリンを入れたとして逮捕・起訴されましたが、その後、事件とは無関係だったこと分かり、検察は、男性を85日間勾留したあと釈放し、起訴を取り消しました。 訴えの中で、男性は警察はガソリンスタンドの防犯カメラの時間設定が正しくないことを見落とし、それを基に男性の犯行と決めつけるなど、基的な捜査を怠ったほか、捜査員から「お前はずっと悪人でいくのか。すべてお前が犯人である証拠はそろっている。お前は普通じゃない」などと言われ、人格権を侵害する違法な取り調べを受けたと

    buhikun
    buhikun 2014/02/18
    可視化は既出だから当然として、これ取調担当のポリも公務員職権濫用で刑事告発したれと思う。
  • 1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか? | THE NEW CLASSIC

    石井良助が注目したのは、表の「冒頭部分」という項目です。表記の移り変わりがあることに気づきますね。年代順にしてみると、ここは三つに分けることができるようです。石井良助はこれを、第一期(表中1~5)・二期(6~21)・三期(22~26)に分けました。 まず「前右大将政所下文」という表記が続くのが、第一期(表中1~5)です。これは当時、頼朝の称号が前右近衛大将(前任の右近衛大将〔通称、右大将〕の意)であったことによります。 それでは第一期から第二期(表中6~21)に移りかわる原因は何なのでしょうか。これは、頼朝たちがきまぐれに書式を変更したわけではありません。第一期と二期の境目にあたる1192年6月~8月ごろに何があったか―それこそがまさに、頼朝の征夷大将軍就任なのです。 1192年7月12日、朝廷は、征夷大将軍に頼朝を任じる正式決定をします。その命令が鎌倉に届けられたのが、7月26日。そし

    1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか? | THE NEW CLASSIC
    buhikun
    buhikun 2014/02/18
    筆者が「出生の時期」を引いているが、「甲から乙への所有権の移転」とかも、近時は一点に画定しない見解が有力。権力の移行も「ポツダム宣言受諾」のような明白なメルクマールがあるとは限るまい。ま、中世やし。