身の回りの事象から距離をとり、それについて言語化することは、周りに流されることを予防する点で有効だと思う。理屈っぽい人間は、身の回りの事象と自分を一体化することの出来ない、あるいは意図的にしない人間なのだと思う。常に一定の距離を保たざるを得ない。 先日あるブロガーさんが「血と汗にまみれたような、そんな文章が読みたい」と言っていて、俺もそれに全面的に同意なんだけれども、よくよく考えてみれば俺はいまいちそういう文章が書けていなかった。世界と裸一貫で真正面から相対し、自分の心中を曝け出す行為はリスクが高いし、怖い行為だからだ。世界に対して「俺はこの世界がこう見えるよ」と表明することは、「いやそう見えるお前はおかしい」「そう見えるなんてお前はキチガイじゃないのか」とか反論される危険ともワンセットで、反論が自らの自我同一性を崩壊することもあり得る。そんなことするよりかは世界と同一化したほうが心穏やか