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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/sombrero-records (1)

  • 書評『暇と退屈の倫理学』國分功一郎:環世界を誤解していたこと - sombrero-records.note

    「暇と退屈の倫理学」という國分功一郎さんのを、去年の暮れに友達が貸してくれて、面白く読みました。 そのの途中に「環世界」の話が出てきます。 文脈としては、ハイデッカーの退屈論は「人間は環世界を持たない(閉じ込められていない)」ことに依存しているが、それは間違っている、人は環世界を持っている、ただ、ある環世界から他の環世界への移動能力が高いのだ、故にハイデッカーの退屈論はこう批判される、という感じだったと思います。 ここで、僕は「環世界」という言葉の取り扱いに悩まされました。 「環世界」という言葉は元々知っていて、馴染みのあるものだったのですが、どうやら僕はこの言葉を誤解していたようなのです。 この言葉は、それぞれの生き物が世界(周囲の環境)を認識するときの、それぞれ固有の認識の仕方(世界観の組み立て方)を表しています。最初に環世界という言葉を使い出したのはユクスキュルというドイツ人の生

    書評『暇と退屈の倫理学』國分功一郎:環世界を誤解していたこと - sombrero-records.note
    bulldra
    bulldra 2013/02/14
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