「生きてるだけで偉い」は今や他者肯定、自己肯定の常套句となっている。現実世界でこの決まり文句を耳にする機会は少ないから、むしろインターネット・ミームと言った方が適切かもしれない。例えば、Twitterの検索窓に「生きてる」と入力すると、「生きてるだけで偉い」がすぐ下にサジェストされる。 確かに当初は、「生きてるだけで偉い」が生の肯定たり得たのかもしれない。しかし、いつしかこの言葉は、“インフルエンサー”が人生に疲弊し切ったネットユーザーをたらし込んでアクセスを稼ぐためだけの都合のいいクリシェに成り下がった。またその瞬間に、「生きてるだけで偉い」という定型句はただの「文字列」となり、その“意味”を消失した。無意味に反復され、無思考・無批判に発出された言葉には重さがないから、人の心には深く響かない。予定調和的な言葉遣いは、言葉を殺してしまうのだ。現在のこうした言論状況の貧困に、自分は危惧の念を
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