大学は三浦と共に日本大学藝術学部美術学科に入学した。大学時代はグローブ空手の同好会に所属している[4]。 漫画の投稿も続けており、賞も獲得していたが掲載には至らず、ある編集者からストーリーは編集に任せて作画だけで良いと言われたことがきっかけとなり、スランプに陥ってしまい、六本木などで荒れた生活を送っていた[5]。 大学4年のときに、三浦が武論尊の原作で漫画家デビューが決まったのは「森の助言」がきっかけだったが、自身は荒んだ生活の中で複雑な気持ちだったと語っている[5]。 大学卒業後はデザイナーとして広告イラストやCMの絵コンテ製作などに携わっており、稼いではいたが生活は荒れていたという。 その後、25歳のときに鈴鹿サーキットで行なわれたF1の取材の帰りにバイクで大事故に遭ったのがきっかけとなって、再び漫画の道を志すようになった[3]。それから5年かけて連載を勝ち取り、2000年から『ヤング