カメキチの目 (図書館へ行くとき寄り道して撮りました。「紅葉狩り」を楽しみ気分も「昂揚」) 枯れゆく葉っぱを「いいなぁ」と感じるようになったのは、やっぱり今の自分を重ねるからでしょう。とくに5枚目なんかは今の自分に見えてきました。 「老兵は語らず」 で、おしまいのは行く末をあらわし、「そうなるんだなあ」と感慨がわきました(このモミジのように落ちてなお凛としているのもいいけれど、「まだ落ちとうはない」と足掻くのもいいと思った)。 ちりとてちん
![2018.12.4 紅葉 - kame710のブログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ff6c0229fdcd466ef21afda2433bdc5c920f4e01/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fk%2Fkame710%2F20181110%2F20181110095143.jpg)
カメキチの目 (図書館へ行くとき寄り道して撮りました。「紅葉狩り」を楽しみ気分も「昂揚」) 枯れゆく葉っぱを「いいなぁ」と感じるようになったのは、やっぱり今の自分を重ねるからでしょう。とくに5枚目なんかは今の自分に見えてきました。 「老兵は語らず」 で、おしまいのは行く末をあらわし、「そうなるんだなあ」と感慨がわきました(このモミジのように落ちてなお凛としているのもいいけれど、「まだ落ちとうはない」と足掻くのもいいと思った)。 ちりとてちん
カメキチの目 先日、ちょっと嬉しいことがあった。小さなことだ。 その日は古紙回収日。 朝はやく、古紙・段ボールを(ついでに杖も)カートに乗せ、回収場に向けて押していた。ゴロゴロ… 回収場は屋外。 外に出るには、鉄の扉を通過しなければならない(私には苦手な「関門」である)。 「大げさな…」と思われるだろうが、壊れかかったロボット、酔っぱらいみたいな歩行のこっちにはその「関門」は「難関」なのだ(相手が「引き戸」ならばまだしも、ひとりでに閉まるので押さえておかなければならない「扉」。しかも鉄製。力がいる)。 で、嬉しかった小さなこととは… カートを押しているへっぴり腰を、勤めに出る中年女性がさっさと追い越して行った。 その方は追い越しがしら、うす暗い建物内でサングラスをかけた、そうでなくてもヘンな動きの老人が古紙などとともに杖まで乗せたカートを難儀そうに押しているのに気づかれたのだろう、 鉄扉を
カメキチの目 1週間か10日ごとには 図書館の本を借りている。 こんなにタダで本を読ませてもらい(買うとたいへん)、読まない市民のみなさんには申しわけない。 働いているときは図書館は頭になかった。読書そのものがあまりできなかった。 (精を出して働いた覚えはないけれど、遅い夕食を終え、風呂にはいって、やっとくつろいで新聞・読書のタイムイン。でも新聞の好きなところを拾い読みし、本を前にすればたまに10ページ、平均2,3ページもすると睡魔に襲われダウン) 読みたい本があるのはたまのことなので、(結果的に「ツンドク」に終わるのが多かったが)買った。 図書館のありがたみを感じたことは、働いているとき一度だけあった(そのときはまだインターネットはなかった)。 仕事上の調べものがあり、その本を借りても家ではすぐに眠くなるので、勤務終了後から閉館まで「閲覧」という形で10日くらい通いつめた。 (思えば、イ
カメキチの目 8月はやっぱり「戦争絶対反対」との訴えがあっちこっちでなされます。 それは「生を否定」することだから、きわめてあたり前のことであり、けっして「多すぎる」ということはないと思っています。 私も「加川良」、「毒蝮三太夫さん」に次いで3記事目。これで終わります。 『夕凪の街 桜の国』というドラマがNHKで8月6日にあった。 『この世界の片隅で』と同じ作者のもので、原爆の悲惨さを描いた胸うつ作品でした。みてほんとうによかったです。 ■子どものころ、(そこからはずいぶん離れた山の中に住んでいましたが)「子ども会」でよく原爆ドームを見て、慰霊碑に参拝し、原爆資料館に入った。 子どもだったので(おとなに)「連れていかれた」、つまり「させられた」印象が強い。 (でも「子ども会行事」なので遠足みたいなもの。あとからは楽しみが控えていた。広い公園の芝生のうえでの弁当は貧しいおかずでもうまかった。
カメキチの目 第三章 人に見られる動物たち-動物園動物 第四章 ラボから始まるいのち-家畜・実験動物からヒトまで 第五章 あふれる野生動物との向き合い方-野生動物 第六章 東日本大震災と動物 ちょっとはどこかで見聞きした話があったので、日ごろ感じてはいても、「そうだったのか」ということがとても多かった。 【動物園動物】 ・人気動物はマスコミがつくり、あおる。 ある人気チンパンジーやパンダの赤ちゃんや「立ちあがるレッサーパンダ」など。 テレビや新聞にはいいネタとなる。 かって動物園園長もしたことのある著者の獣医師は言う。人気動物もいいけれど、せっかく動物園に来たのだから、ほかの動物も見よう。自分のお気に入りが見つかるかもしれない。 ・お気に入りには名前をつけたくなる(人気動物にはたいてい名前があります)。 日本の動物園では、それが可能な動物には個別に名前をつけて飼育、管理する(飼育側・来園者
カメキチの目 きょうは7月末の記事の続きです。あっちこっちへとすみません 第二章は、「いのちの『食べかた』を考える」。 この部分の著者は新島典子さんという大学の先生。 動物看護学(ある大学にはこういう学部があるのです。すばらしい! 東大や京大もこんなのを設ければいいのに)を教えている。 私は、畜産のウシやブタ、ニワトリなどを「産業動物」と呼ぶとは知りませんでした。 ・生まれたときから「食材」となるまで育てる(畜産業)。 ・解体して食肉を製造、または搾乳しミルクやバター・チーズを作る(食肉産業や乳製品製造業)。 ・運搬し(冷凍車などによる運送業)、販売する(肉屋さん・スーパーなど小売業)。 ・あいだには市場など卸しもあり、関連して牛乳パックやプラ容器なども。 まさに一大産業です。しかも「食べる」だから、生きることにぜったい欠かせない。生きるといっても肉食しなくてもすみますが、ベジタリアンだっ
カメキチの目 『動物のいのちを考える』(朔北社)という本にであった。 この前から「つれづれ…」という自分の昔話を書いていますが、きょうはこっちを書きます。ゴメンなさい。 本は、 ①伴侶動物(ペット) ②産業動物(牛や豚など) ③動物園動物 ④実験動物(マウスなど) ⑤野生動物 の順で、さまざまな立場の人が書いている。 ブログを始めて広がった私の世界の一つに「動物福祉」というものがあります(カフェインさん、ありがとうございます)。 恥ずかしながら、人間の福祉には携わっていたのですが、「福祉」を動物に広げて考えたことはありませんでした。 ただ、歳をとり人間とか人類を相対化し、空間に広げれば「生き物の一種」、時間に広げれば「生命発達の一段階」と思うようになってきた。 ロボット、人工知能、バイオ…と科学技術万能、その身勝手さを嘆かわしいと思うようになってきたので、「動物福祉」という言葉がとてもよく
カメキチの目 きょ年の8.29に「ワシ、元気か」という記事を書いた。 そのときの『 明日戦争がはじまる』という詩と、詩をつくった宮尾節子さんご本人のことが気になってネットで調べたら、なんと本になっていた。 「集英社インターナショナル」という出版社から。 そのネットページに、ある街の本屋さんの感想文があった。その感想のほうにもジ~ンときた。 ちなみに、宮尾節子さんの詩『明日戦争がはじまる』はこうです。 まいにち/満員電車に乗って/人を人とも/思わなくなった/インターネットの/掲示板のカキコミで/心を心とも/思わなくなった/虐待死や/自殺のひんぱつに/命を命と/思わなくなった/じゅんび/は/ばっちりだ/戦争を戦争と/思わなくなるために/いよいよ/明日戦争がはじまる/ 感想文は、ツイッターで爆発的に拡散されたこの詩が本になったことで、より多くの人の目にとまることを願い、こんないい本を扱えるご自分
カメキチの目 『物語 食の文化』を長くかかって読了した。 その方の読書紹介と感想だけで自分が読んだような気にさせてくださる読者がおられ、刺激されて読んだものです(「爽風上々」さん、ありがとうございます)。 新書本で一般向け。ですが中身が濃く、新書版になる前は大著だったに違いありません。 「食」は生き物の本能。というか、生きることそのもの。 動物は生きるためのほとんどの時間とエネルギーを「食う」ことにあてている。 人間は、食うことから解放され、つまり少し「余裕」がうまれ、「文化」というものを創造するようになった。「食」そのものも文化となった。 『般若心経』に「空即是色」とあるけれど、まさしく 「生即是食」だ。 ブログでも、「食べる」「料理」は大繁盛(私も大好き)。写真だから食べられないが、みるだけでとても楽しい。 楽しいが、みるだけでは腹はふくれない。残念です。 本には、ありとあらゆる「食」
カメキチの目 何かを見ていたら、何かは見えない。 あることに気をとられていたら、注意していたら、ほかのことには気が向かない。 あたり前のことですね。でもふだんの生活はそれに追われていて、なかなかじっくり思うことではありません。 『見えない”貧困”』(2月12日のNHKスペシャル)は、見ようとしない限り、見えないに違いない。 安倍首相や政権の面々には、貧困は見えているはずです。 見えていても「見えないフリをする」しかないのでしょう。 見えるのは日本国経済(大企業)とトランプの顔色だけ。一挙手一投足にビクビク… もちろん、日本は自由主義社会なので、何を見ようがどこを向こうが「自由」。 何に価値をおいても自由。 かの独裁国も戦前の日本も、自由はなかったので「見る」ものも「向く」向きも決められていた。現代でも森友学園のように、子どもを同じひとつの方向に向かわせようとしている。 その点で、北朝鮮も旧
カメキチの目 『神経ハイジャック』という、あまりに衝撃的な本を読んだ。 きっかけは、①図書館でツレが(本の正体を知らず)好きなサスぺンスものと勘違いして借りたこと。②「分厚い本だけど(530ページ)…」と言いながらも、読むのをすすめてくれたことである。 書名がいかにもサスペンスという感じでしょう(勘違いしたのはうなずけます)。 著者はマット・リヒテルという「ニューヨーク・タイムズ」記者で、本は2010年、ピューリツァー賞をとったノンフィクションです。 読書速度が遅々としている私は2回も借りなおしましたが(「途中でやめるだろう」と言われたが)、何人ものアメリカ人が登場し(名前を覚えるのもたいへん)話が輻輳するのでページをめくり返すことはしょっちゅうでしたが、完読せずにはおれませんでした。 ノンフィクションとはいっても、物語風に書かれており、「読ませる」のです。 ーーーーーーーーーーーーーーー
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