という唱和があります。近衛信尋は後陽成天皇の皇子、佐川田昌俊は歌道に達した武士。「二つ文字・牛の角文字」は、次に説明しますが、「こ・い」ということです。送った歌は、関白に直接に手紙を差し上げるのは失礼なので、側近の人に宛てるという形にして、「都合の良い時に申し上げてください。こい(鯉)をさしあげます」。関白からの返事は、「そちらの言う魚の名ではない、暇の折にこい(来い)」というのです。 これは『徒然草』(六二段)に、後嵯峨天皇の皇女である延政門院悦子(1259-1332)が、幼いときに父君の御所に参る人に言伝てして奉った次の歌を踏まえたものです。 兼好は「恋しく思ひ参らせたまふとなり。」と説明しています。「二つ文字」は「こ」、「牛の角文字」は「い」、「直ぐな文字」は「し」、「ゆがみ文字」は「く」です。幼い皇女は、手習いで覚えた字の形を用いて謎の歌を詠んだのでしょう。 この話は江戸時代の人々
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