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切込隊長に関するcaster-0069のブックマーク (9)

  • 続・日本社会はフルボッコ先を求めている - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    情報カスケードという言葉があって、まあ一般的には「情報不足の状態から積み重なる判断が、最終的に真実とは程遠いまったく違った結論に至り、それが信用される過程」って意味合いで使われるかな、と。 で、まず亀田問題を例に取るけど。フルボッコ先の対象としてのクオリティは非常に高い。日人はたいていああいうのが好きではないが、目新しさを感じているときは持ち上げられて注目される傾向にある。日人でなくてもそうだ、日社会以外でも存在する、という議論もあるけど、まあその辺は広告業界に詳しい人がそのうちはっきり否定するだろうし、そう思っている人はその他大勢だろうからまあいいや。 私の思うところ、社会問題としての亀田問題というのは、放送法で公的に保護されている業界であるテレビ局が、反社会勢力と結びついて興行を行っている亀田ジムを持ち上げ、その過程で、公共の電波に暴力団が一同に介している映像を国民に流した、とい

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  • 切込隊長BLOG(ブログ): 吉野紗香のブログにキチガイ流入、大炎上騒ぎ発生についての回顧

    ● 概要 良くある「芸能人の不用意な発言が引火してキチガイが発生、炎上に至る」流れであるが、非常に味わい深いのでピックアップしてみる。 元のブログ記事はこのような内容である。 http://mycasty.jp/yoshino/html/2007-08/08-05-793011.html 内容的には、「通読できないほどイタい」というよりは、いまごろ攻殻機動隊にハマる今更感と、一般人から見た吉野紗香の旬過ぎてる感の絶妙なマッチングが肝であって、一般人にとって99%が興味を持たない攻殻機動隊と99%が興味を持たない吉野紗香の素敵すぎるベン図構造が読み取れます。結局、攻殻機動隊と吉野紗香という一般関心から遠い話題では問題を消化できず、アニヲタ対反アニヲタの戦い、やがて吉野擁護に名を借りた一方的なアニヲタ叩きへと移り変わっていくさまを堪能されたい。 問題の元となった「もし実写で映画化される事なんて

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  • 2007参院選の雑感 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    雑感書いてどうすんだという話もあるけど、どうせなので。 ○ 閣僚失言系スキャンダルが選挙前に頻出するカラクリ 当の意味で失言だったのは久間さんの「原爆はしょうがない」発言で、まあ早く死ね可能なら今日死ねと関係者一同思ったのではないだろうか。あれのお陰で計算上自民は3議席ぐらい失ったんじゃないでしょうかね。 一連の失言、まあ麻生さんの「アルツハイマーでも分かる」発言についてが一番アレだろうけど、一番最初に報じたメディアを調べていくと、何となく構造が分かるのではないかと思います。もともと麻生さんは失言というより比喩が直截的で、別に選挙前じゃなくてもこの手の放言は多い人物なのですが、演説や講演などの映像で問題となりそうな部分だけ切り出して繰り返し放送しながら失言として煽るという手法はもはや確立されたように思います。 メディア選挙、テレビ選挙@山口中将のカラクリについて、某和歌山で当選した人が中

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  • 左利き差別「炎上」に見る書き手と読み手の美しい距離感 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    J-Castで何か書いている横澤彪氏の記事が炎上を起こした。炎上自体はもはやネットにおける日常的な風景であって、それをいまさらあれこれ言うつもりもない。 http://www.j-cast.com/tv/2007/06/27008769.htmlネタ元→ http://blog.livedoor.jp/m_shike/archives/50987532.html 私は左利きである。 したがって、横澤氏に「左利きバーカ」とか書かれること自体、確かに腹立たしいし早く死ねと思わんでもないけれど、それ以上に自分も親に右箸右書きに矯正された経験を半笑いで思い出し、良く考えたら両手で箸を扱え両手でモノが書け両手で投げられリブルラブルが得意なゲームのひとつとなりそれなりにハッピー矯正ライフを送っているのもまた事実である。 一方で、何となく「横澤に言われてもな」とか「なんでj-castに書いてんだよ(ぷ)

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  • 切込隊長BLOG(ブログ) 民主党なあ…

    寝る直前にコメント欄に次のような記事が出ていたのを知り、正直げんなりしているわけだが… 読み手に分かりやすく書くのは困難なネタだなあ。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070701ia22.htm アメリカで問題になっている慰安婦事案ってのがあって、要は、予算面、方法の巧拙において、日韓国中国に比べてやや劣っていた経緯があった。もうとっくの昔から、そういう傾向が見え始めていて、いろんな人が指摘していたから敢えてここでは書かない。ある種の「インテリジェンス病患者」みたいなのが最近増えたから。 民主党としては、次の選挙はどう転んでも負けることはない、少なくとも、現指導者が、責任を取らされる形で退陣する予測はあまり立たない。それゆえ、民主党には現在「ターンが回ってきた」状態で、何をするにもフリーハンドですよ、ということ。 で、何をしたかとい

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  • 切込隊長BLOG(ブログ) ネットイナゴの真髄を「ヤフー!みんなの政治」のなかに見てしまった件について

    私が言うのもなんであるが、政治の現場というのは馬鹿と暇人を動員してナンボなんだなあと思わせるサイトが存在する。 ヤフー! みんなの政治 http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/newlist/ イタいとかイタくないとかそういうレベルの問題ではなく、私たちが抱える社会的問題、それを議論し解決していく場としての民主政治の「あり方」に比べて、その政治に送り出す国民の側の顔つきはどんなものであるのか、その「ありよう」について良く考えるべきだ、というお題を突きつけている。その象徴なんだろう。 例えば。 http://seiji.yahoo.co.jp/my/individual/index.html?nn=DyFn4OWekUBl0GDbvSqbsA-- このgonbe1603氏、かなり頑張って自民党議員をけなしている。その内容は、要するに民主党支持者の為すべきそれであっ

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  • 切込隊長BLOG(ブログ): 毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件

    経済部の記者が「制度的に介護事業が儲からないからマトモな事業家が参入しなくて、変な奴がやっちまったんだよ」と驚くほど正論な記事を書き面白かったのでピックアップ。いやその通り。 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070615k0000m070150000c.html 最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。 「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離され

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  • コムスン折口雅博氏は笑顔でも目が笑ってないのは何故か - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    アバウトミーで質問作ってもブログに直接張れないのは何でなんだぜ。 http://aboutme.jp/question/show/8475 改めて会見の映像見たけど、あの髪型は凄いな。なんつーか、私には髪力が足りなくて、できない。別に不足しているわけではないが。しかし、某所で解説されてんだか煽られてんだか分からんエントリーが上がっていたのをうっかり発見してしまい、数分ほどがっかりした。私ってばそういう風に思われてるのか。 ■[愚考][新手のスタンド使い]ハゲが何故罵倒語として機能するか理解できません http://d.hatena.ne.jp/tomozo3/20070612/hage 私のように常識的な範囲内でふさふさであるとコンプレックスなど持ちようもないのだが、男のヅラと女の整形と老人の入れ歯は個人的に初対面でも「これは」と思ってしまうほど不自然なものだからであって、心の中での指摘、

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  • 平和の帰着点としての戦争 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    ある左翼の人とじっくり離す機会が先日あって、評論化然とした北のほうの大学で教鞭をとる傍ら政権批判を繰り返し行ってきた分知識の蓄積が相応にあって面白かった。 私は保守主義者なんだけれども、相互に話して出た結論と言うと、同じ事象を認識していながら、コインの表裏で違う絵柄を見ているに過ぎないということだった。彼からすれば「戦争のできる国に日をさせていいのか」という問題意識であり、私は戦争をしたいとは言わずとも他国が戦争を日に対して志したときに今の日のありようでよいのかという危機感がある。それが有事法制であり憲法改正であり対外政策の基的なスタンスを規定するものであるのは言うまでもない。 政府のあり方や国民の立ち居振る舞いというのもあるけれども、価値観の大きな違いは社会に対する信頼感や、日人が日人としてどう生きるかという原則論の部分だろうと。例えばSFの世界で、サイバネティック社会の到来

    平和の帰着点としての戦争 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
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