タグ

宗教と非コミュに関するcastleのブックマーク (6)

  • 女を説得なんかできない

    今日、最も印象に残った言葉。とある大学の先生の言だという。 「女を説得なんかできない。女を説得できると思っている時点で、お前はまだ若い」 仰るとおりです先生。 「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶である。 昨日の日記に照らすと僕はおそらく「説得できるような女」を求めているのであって、それというのはじつに無茶な要求であろう。 この言葉を教えてくれた相手が、もう一つ興味深い話をしてくれた。 それは「新興宗教にはまってしまった友人」の話。 彼は実際にその宗教団体を訪れ、儀式を見聞きし、「これはまずいだろう」と思って、友人を「説得」しようと試みたらしい。「これは真っ当な宗教じゃない。いわゆる“怪しげな新興宗教”だ」と。 が、「そういうことじゃないんだよなぁ」とか「やっぱり神ってのはいると思うし」とか、よくわからない、的外れな

    女を説得なんかできない
    castle
    castle 2009/12/22
    「「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶」「女の子ってのはみんな「自分の聖書や神様」を持ってんだろう。だから説得がきかないんだ」
  • たぶん私がまさにだろうが - finalventの日記

    つまり、気違い。 ってやつかな。そう思われてもしかたないな、こんなこと書いているのだからなと思う。 そして、そういう気違いだからなのか、私がネットやメディアを通して見る情報などが気違いに見える。これは気違いは傍を気違いだと思うという相対的に、ということなのだろう。 今年は特にそういう思いが強くなった。 ということは私の気違い度がアップしてしまったということか。 ネットというのは完全に開かれているわけではないが、かなり開かれている。つまり、対話は可能だ。だが、そういう対話の可能性が技術的に見えて来つつあると、実際の運用ではその逆が起きる、テレビが登場したときのように。 この人には全然通じないなと思うことが多くなった。 対話のツールとかの問題ではないな、と。 むしろ、二三回でも対話できるほうは、一見すると通じないと嘆かざるをえないようでも、冷静に考えればまだ通じているの部類だ。 通じるというの

    たぶん私がまさにだろうが - finalventの日記
    castle
    castle 2007/12/31
    「人は自ら地獄に行く、というのは、それも合理的」「人は自分の真理だの快楽だのそういうものに従って生きて、つまり自由選択で生きて、そして結果が地獄というのは、別の死後の生など想定しなくても納得できる」
  • finalventの日記 コメント欄 - 松永さんのサニタイぜーション。ネットの世界の側の持つサニタイズ的な力あるいはシステムというのはないのかな、と

    バーナンキ僧正を含め、お好きなかたたち、こんな政治センスがないんだから、しっぺ返しをうよ。まいったな。 ま、決定的な事態にはならない、なんかの安全装置みたいのがあるんじゃないかとか夢想。 これ以上のもてなしがあるだろうか。小泉純一郎首相とブッシュ米大統領の相性が良かったためだけではないのだろう。 最上級のもてなしではないよ、外交的に見るなら。 ブッシュと夫人の心づくしという感じだ。 事件のディテールを知らないが。 警察、ひどいよ。 いやまったく。どうやって警察から市民が守られるべきか? 何を主張されたいのか皆目わからん。 良好な景気情勢が続いていることで、財政再建への危機感は国、地方ともやや薄らいでいる。しかし、地方分権というのならば、財政力を付けられるような手を打つのが改革というものだ。 「手を打つ」の主語は、「国」ですか? あははおもすれー冗談ってことですよね。 共通の価値観と利益に

    finalventの日記 コメント欄 - 松永さんのサニタイぜーション。ネットの世界の側の持つサニタイズ的な力あるいはシステムというのはないのかな、と
    castle
    castle 2007/07/09
    sanitization(【名】浄化、衛生化)「日本が対外的にどう見えるかという、そのあたりの、若い日本人の共通認識以前の共通意識ツールみたいのをどうするかと(単純に言えば英語勉強せーよかも」
  • 悪ということ、少し - finalventの日記

    Gので、なぜか英語で覚えているのだが、No salt, no sugar という、彼お得意のナスレデッィン風の格言があったか。意味はよくわからないのだが、塩味がないと砂糖の甘さも効かないということかもしれない。Gは直接は悪を語っていない。Gはなにかもっとぞっとするような暗黒のようなものを語っている。彼にとって悪がなんであるかはわからないが、弟子との関わりでは、人が普通に悪と思うものについては寛容であったし、彼は意図的に悪を振る舞った。子どもだったピーターズはGにある女性になぜ不公平に振る舞うのかと問うたとき、Gはそれによって人が哀れみの心を持つと答えていた。たぶん、ある種の社会的な悪というのはGにとってはまったく意味の異なったものであり、存在の高度化はそうした機能的な悪との関わりを持つものでもあったのだろう。 ネットなどでも昔はそうでもなかったように思うのだが、ぞっとするような悪が露出す

    悪ということ、少し - finalventの日記
    castle
    castle 2007/07/08
    「善意や正義は悪の表出」「日本人・アジア人は、「私」の本質と悪を結びつけて自己の滅却にかかってしまう。自死」「悪は通常は、「私」の本質とは異なると自覚され、「私」から乖離・対象化できるものだと考える」
  • 2007-05-18

    教育を国家が扱えば井戸端会議でよろしい。教育は国家セクターの課題ではない。 高い伸びが続いた設備投資に一服感はあるものの、内需のもう一つの柱である消費が好調で、景気の足取りに大きな揺らぎは見えない。 にもかかわらず、景気減速ばかりを過度に警戒する向きが後を絶たない。この日は大田弘子経済財政担当相が「デフレから脱却したとはいえない状態だ」との見方を示した。 私は大田弘子経済財政担当相が正しいと思うね。というかがんばれ、大田さん。 大田氏の発言はこうした指標に注目したものだ。与党内には、量的緩和を打ち切り、ゼロ金利を解除した日銀の政策判断ミスではないかとの声まで出ている。そこには、日銀がわずかでも利上げすれば、安倍政権が進める成長戦略の障害になるという政治的思惑が見え隠れする。 判断ミスでしょ。 副作用を恐れる人がいるのも確かだが、ワクチンによる脳炎の発症率ははしかにかかった場合に比べてずっと

    2007-05-18
    castle
    castle 2007/05/20
    「今の勝ち組も負け組も微妙に連帯を失っている。そんな感じで」「例の「こうのとり」で捨てられた子への冷たい視線というのが私にはとても異和感。昭和の人間ならその現実を認めつつ、ある痛みの感覚を持っていた」
  • ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog:イエス・キリストを理解してない人たちへ、-(仏陀を理解していない人たちも) - livedoor Blog(ブログ)

    2007年02月22日13:27 カテゴリ イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.com の掲示板の2004年の2月過去記事: >>>>【記事番号:497】 サトリの先にあるもの・2 投稿者: 苫米地英人 投稿日時: 04/02/16 18:53:44 近代宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)は、原始的宗教に一般に見られる矛盾=神と人間の関係が対等であるという立場、もしくは、人間が神を使役するという、人間が神の上位になる関係を避けることで成り立ってきたといえます。例えば、日の古来の「御利益」の概念は、人間が、一心不乱に祈ったり、水行をしたり、生け贄を捧げたりして、なんらかの犠牲を神に払えば、神がお返しに御利益をくれるという概念です。これは、人間の行為に神が見返りを提供しなければならないという、人間と神を対

    castle
    castle 2007/02/22
    とりあえず宗教タグつけたけど、どっちかというと閉じた社会を作り出す仕組みに比重をおいたカルト論ぽい。
  • 1