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技術と生物に関するcastleのブックマーク (46)

  • なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ ボクはお風呂に入ると行為への意識が飛ぶことがある。お風呂は暖かくて血の巡りが良い、密室で集中できるなどあるからだろう。頭がよくまわる。いろいろ考えごとをしていて気がつくとお風呂から出ている。体を洗ったことは覚えているが、あれ隅々まで洗ったかな?と考える。考えとは別に行為が進められる。体の洗い方は毎日反復しているので自然と体が動くので、いちいち意識する必要がないのだ。 このようなことはそれほど珍しいことではない。たとえばいまPCのキーボードを叩いているが、いまS、次Aと意識などしていない。言葉にそって勝手に指が動いている。ボクはローマ字シフトであるが、これがひらがなシフトでの入力となると、キーボードを睨んで、「さ、さ、さ・・・あった!」と羽目になるだろう。意識はキー探しするためにフル活動で他のことには回らないだろう。 人が様々に行為するためにはいちいち意識せ

    なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2008/12/24
    「お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ」「主は体、従は意識:意識はあくまでガイドであり従」「社会は商品という環境をめぐって構造化され」「ブ米:だから真の権力は意識に訴えるよりも、身体とその道具環境に働く」
  • 身体の政治的な「環境-調和図式」 <環境-調和図式>1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    <環境-調和図式> 以前から環境と人の関係を考慮したわかりやすい図式が必要だと考えていました。それで、<環境ー調和図式>を考案してみました。横軸は環境で人間が重視されているか、縦軸は環境が人間と調和しているか、を表します。 A.<強制>領域・・・人が環境に<強制>される関係 <強制>の領域は、先に環境があり、強制的に人がはめ込まれていく状況です。 交通環境でいえば道がない状況です。そこでは人は環境からの妨害を避けるように歩いて行かなければなりません。 B.<訓練>領域・・・人が環境を<訓練>する関係 <訓練>の領域は環境が先にあり人がはめ込まれるわけですが、<強制>と異なるのは人は訓練することによって環境に対応します。そして訓練が多く反復されることで環境からの強制があることは忘れられ、環境と調和状態になります。それが習慣です。 交通環境でいえば道がある状況です。道を使用するにはルールがあり

    身体の政治的な「環境-調和図式」 <環境-調和図式>1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2008/08/11
    「疎外:環境に<強制>される/規律訓練権力:環境を<訓練>する/生権力:環境を<管理>する/物象化:環境に<感染>する」「知と統御こそが、身体の政治的技術論」「精神は実在する。それは一つの実在性をもっていると」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    日記_2024.8.29 鞍馬と貴船 29日は鞍馬と貴船に行ってきました。こんな天気でバイクは無理、でも引きこもるのも嫌なので前々から行きたかった鞍馬と貴船に行くことにしました。ただ、いつ大雨が降っても全くおかしくないので天気がヤバそうなら帰ることにします。普通に日帰りできる距離ですから…

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    castle
    castle 2008/08/11
    「人間は、情報能力と道具製作能力を拡張させた動物・生物の一形態にすぎない」「生物性を土台として「モデル化」という存在の形との共存・コントロールを構築しようという感性が高まるんじゃないかなーと」
  • 「情報機械」について - umeten's blog

    機械化帝国Googleが破壊する「生身の人間」 - こころ世代のテンノーゲーム http://d.hatena.ne.jp/umeten/20080805/p1 たった一日でドカンと伸びて100ブクマ到達。 この世で一番肝心なのはすてきなタイミング(by坂九)ですかそうですか。 「偶有性」万歳。(意味がズレとる) せっかくなので、いただいたトラックバックからいろいろ視点を抽出。(順不同) ▼「新しい人権」という視点 民営の監獄都市あるいは監獄世界をグーグルは生み出すのか? - 小烏丸の日記 http://d.hatena.ne.jp/kogarasumaru/20080806/p1 >「技術の進展の前にはプライバシーはない」というのでは、今後ともそれを積極的に侵害していくという宣言のようではないか。技術的に「完全な」プライバシーがないからこそ、新しい権利としてのプライバシー権が叫ばれてい

    「情報機械」について - umeten's blog
    castle
    castle 2008/08/08
    「人間を「人間性」という「本質」とイコールで結びつけずに、その上で生物学的な条件に縛られ、制限された「生身」の存在であることに焦点を当てられるのでは」「人間という生き物が「生身」であるという事実」
  • なぜ真のイデオロギーは安らうのか 「配置(disposition)」の思想性2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    配置の<固さ> ボクにとっての配置(ディスポジション)とは、訓練によって習慣化された身体と客体の関係である。その間に何らかの言語記号は介在せずに、ただ当たり前のように配置されて、身体が従うものである。このような当たり前さを配置の<固さ>と呼ぼう。 道を歩くとき、配置としての道はもはやそれがどのようなものであるかと考えずにただ歩いている。そのときに歩くという行為はその道の配置(ディスポジション)に従っているのだ。たとえば泥道、舗装道、雪道などでは人は「気がつかずに」にそれぞれ歩き方を変えている。しかし習慣化された歩き方は、そう簡単にはかえられないために、都会人が雪道を歩くと転びやすいことが起こる。彼も訓練してなれれば、雪道という配置(ディスポジション)に合わせた歩き方をする。それは、最初は意図的であっても習慣化すれば「気がつかない」ものとなる。それは暗黙知(身体知)である。 インフラストラク

    なぜ真のイデオロギーは安らうのか 「配置(disposition)」の思想性2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2008/08/06
    「訓練によって習慣化された身体と客体の関係。その間に何らかの言語記号は介在せずに、ただ当たり前のように配置されて、身体が従う」「この習慣の強さを促すもっとも固い配置は、社会的経済基盤を支えるインフラ」
  • ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識/バーバラ・M・スタフォード: DESIGN IT! w/LOVE

    バーバラ・M・スタフォードは『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』のなかで、こんなことを書いてます(amazonに書影がないのに写真を載せておきました)。 自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジー(analogy)は、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセスでもある。身体にしろ、感情にしろ、精神的なものであれ、知的なものであれ、何かが欠けているという知覚があって、その空隙を埋める近似の類比物への探索が始められる。 当にこれ、そうですね。欠けているという知覚があって、そこに愛を見出すということがある。「つながりたい」「つなぎたい」というこの欲望。なんで人間はこんな気持ちをもつんでしょう。 この愛というリンクについて、僕はもっと知りたいと思う。 バラバラのものとをつなげるアナロジー姉妹編ともいえる前作『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』の最後で、

    castle
    castle 2008/07/01
    「自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジーは、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセス。身体にしろ、感情にしろ、精神的なものであれ、知的なものであれ、何かが欠けているという知覚が」