タグ

ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (56)

  • なぜ日本だけがデフレなのか デフレへ適応する日本人 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜ日だけがデフレなのか なぜ日はデフレになったのか。「週刊東洋経済増刊デフレ完全解明」(ASIN:B004IOZAJ0)を読んでいる。数人の経済学者がその理由および対策法を語っているが、みなそれぞれである。 書の中のデフレ分析で面白かったのが以下。先進国ではデフレは日特有でそれも10年以上にわたり長期化しているという不思議な現象だ。ここからも経済分析が難しいことがわかる。マクロ経済学は自由主義経済を一つの法則性で説明しようとする。このような地域的な環境の分析になると、とたんに個人の感想レベルになってしまう。 ・日のデフレは1998年以降、過去十数年間続いているといってもよい。 ・デフレの中心は家電製品や家賃の下げが中心。生鮮品をのぞく料も下落している。 ・過去30年間でデフレを経験したのは主要先進国では日だけ ・デフレは国際的に日の代名詞のようになっており、「ジャパナイ

    なぜ日本だけがデフレなのか デフレへ適応する日本人 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2011/05/11
    「中国労働市場の台頭で殆どの企業が一部生産を中国へ移した。日本の雇用は減る。日本の雇用は減る。日本の工場では雇用流出を食い止めるため、中国工場に負けないコストダウン努力が行われる。人件費削減となる」
  • なぜ日本の産業構造は製造業からサービス産業へ転換できなのか オタクの充足  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    景気対策 製造業からサービス産業への構造転換 日は長い不景気の中にある。このデフレ不況の要因は大きく三つ上げられるだろう。一つは中国を主として日周辺に質が良く安い労働力の登場したこと。中国は世界の製造工場となり、世界中へ安価な製品を輸入している。このために日の製造業も中国へシフトし日内の雇用が減っている。 もう一つは円高である。アメリカが輸入を増やすためにドル安政策をとっている。また最近の欧州の経済不安もあり、相対的に財政が安定している円が買われて円高傾向にある。 投資家は中国アメリカの2大国の政策に反応して円高ドル安の傾向を容認しあう状態にある。このために日が円高を解消するための金融緩和政策を進めても市場は反応しなくなっている。さらに三つ目に日は急激に高齢化し、内需の購買力が落ちている。 このような経済構造「環境」への対策の一つの案として、日は旧来の製造業中心から付加価値

    なぜ日本の産業構造は製造業からサービス産業へ転換できなのか オタクの充足  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2011/05/11
    「投資家は中国と米国の2大国の政策に反応して円高ドル安の傾向を容認しあう」「(サービス業は)成功した富を手に入れる一部のクリエーターとワーカーの格差が大きくなる」「不景気に適応するジャパン型ドリーム」
  • なぜ日本人は中国人よりリベラル(世界共通標準)なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    中国人というタイムトラベラー 中国の遊園地でガンダムモデルが作られて問題になっている。どう見てもガンダムなんだがオリジナルと言い張る。そこには悪意というより無邪気さ、稚拙さがある。中国人の反応を見ていると狭い世界に閉じこもった井の中の蛙という印象を受けて、真実を伝えたていらいらいする。ガンダムでないといいはる滑稽さ、世界中が笑ってるぞ!と言いたくなる。 たとえばこのような状況は日で少し前にあった品偽造の中小企業の社長に似ている。品偽造の記者会見での社長はまるで過去からタイムトラベラーだ。戦後から一代で会社を成功させたワンマンでその筋の実力者。仕事熱心で技術表彰うけたアイディアマン。彼には罪悪感はなく、技術改良の一つであった。記者会見でことの重大さがわからず自分の理論を無邪気に話す。おそらく事前に周りの誰が忠告しても彼には重大さは理解できなかっただろう。中国人たちの様々な行動を見ている

    なぜ日本人は中国人よりリベラル(世界共通標準)なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/12/23
    「リベラルには世界を共通の価値に押し込める暴力がある」「今後、中国人が教育されて徐々にリベラルに寛容になることは必ずしも期待出来ない。彼らはリベラルを作りだすこと、アメリカと対峙する事を指向している」
  • 経済学は世界を記述しているのではなくて世界が経済学をまねている - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    一一世紀ヨーロッパの平均的な農民になった自分を想像していただきたい。主人の前にあなたがひざまずくと、主人は両手であなたの両手を包む。そしてあなたは、その主人だけに永遠に忠実であることを誓わなければならない。これは金銭的・商業的な誓いではない。あなたは生命と名誉を捧げるのだ。主人が外の世界から守ってくれるのと引き換えに、あなたはお金のない生活をし、自分の労働と、時には命を主人に提供することになるのである。 封建制下での主従関係において重要な点は、それが金銭にまつわる関係ではないということだ。領主の領地は売却可能な余剰生産物をほとんど生み出すことなく、取引の主流は物々交換だった。領主は自分たちの支配を金銭的に考えることはなく、領民もまた現金を手にしても使い途を持たなかった。 貨幣のない社会では私有財産制という概念そのものが存在しえなかった。農民の小屋と道具は、持ち主の人格の延長物と考えられた。

    経済学は世界を記述しているのではなくて世界が経済学をまねている - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/11/18
    「封建制下での主従関係:主人が外の世界から守ってくれるのと引き換えに、あなたはお金のない生活をし、自分の労働と、時には命を主人に提供」「近代以前に人が「効用」より重視してきたのは「他者との繋がり」」
  • なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 日人の慣習とリベラリズム 2 日人の習慣の破れに対する強迫性 3 日人と理性 4 日人の国家依存 5 日人の成功法則 6 日人の「和」と「他者回避」 7 日人と平等 1 日人の慣習とリベラリズム NHK教育で「ハーバード白熱教室」 Lecture1 犠牲になる命を選べるか http://d.hatena.ne.jp/happysmiletalk/20100408/p1 あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか? そこからさらにサンデル教授は別のケースを提示します。では路面電車の別のケースを考えてみよう。こっちのケースでも『5人を助けられるなら1人が死んでも仕方

    なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/06/25
    「日本人が資本主義で成功した理由は、資本主義の成功が習慣の断絶を回避する方法だから。強迫性が商品を高度に発達させる原動力になり内需を成長させてきた」「貨幣の前の平等はまた人を無名にすることで孤立させ」
  • なぜ日本人には思想がないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「言わずもがな」で見えない日人 なぜ日人には思想は必要ないのか。西洋的な思想の特徴は言語依存が高いことにある。論理や理屈、すなわち言語による体系化が重視される。これは今でいう「見える化」である。現前に明らかにする。 多様な価値の多民族社会では互いに「見せあい」主張することが求められる。それに対して島国日では思想、宗教は地域コミュニティの生活の中で身体訓練、習慣として伝達されていく。多くが改めて現前化されず、「言わずもがな」、として伝達・共有されていく。 近代において西洋文化と出会い、日人を「見える化しろ」と強迫されてもそのようには出来ていない。だから西洋人には日の思想はないものになる。日の思想は言語化できないものなのだ。たとえば音楽を言語化するようなものだ。 日人はテレパシーで繋がる宇宙人 日人の特徴としてすぐ異文化を吸収してアレンジする柔軟性があげられる。また日人は島国

    なぜ日本人には思想がないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/06/05
    「多様な価値の多民族社会では互いに「見せあい」主張する事が求められる。対して島国日本では思想、宗教は地域コミュニティの生活の中で身体訓練、習慣として伝達されていく」「「なぜキリンの首は長いのか」問題」
  • 日本人に哲学思想は必要か NHK「ハーバード 白熱教室」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    現代の正義、アリストテレスの正義、日人の正義 [ NHK 「ハーバード 白熱教室 "Justice with Michael Sandel"」 http://www.nhk.or.jp/harvard/ アリストテレスの考える正義とは、「適合」ということである。つまり、美徳や卓越性を備えた者は、それにふさわしい役割を与えられなければならないのだ。アリストテレスは奴隷制を擁護した。政治を論じ合うため、市民は、単純作業や家事から解放されなければならず、その雑用を引き受ける存在が必要だからである。さらには、生まれつき統治されることに適した人間がいるとまで言い切っている。人間には、自分自身の役割を決める自由があるのではないか。サンデル教授は、アリストテレスへの反論を検証しながら、その哲学は当に、過度に個人の自由を制限しているかを議論する。 NHKのサンデル先生の講義、「ハーバード 白熱教室」を

    日本人に哲学思想は必要か NHK「ハーバード 白熱教室」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/06/05
    「日本人といってもほとんどが元農民で、市民としての権利、義務とか考えたことない。明治開国も武士層がやったことで、その後富国強兵で動員されて~戦後に冷戦構造で左派は虐げられて、戦前の護送船団の会社人間」
  • なぜネットはアクセスするだけで高揚するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    インターネットは五〇年代から六〇年代にかけての二つの事件の影響を受け、ここまで育ってきたものだといえる。第一は五七年に起きたスプートニックショックだ。・・・アメリカは焦り、六〇年代は科学技術へ重点的に投資した。そしてそのなかの一つが、ARPAネットプロジェクトである。 第二は、ベトナム反戦運動や学生運動に端を発する反体制運動である。こちらは、インターネットの文化をつくりあげる原動力となった。・・・「コンピューティングパワーを、民衆のもとへ」というわけだ。 政府や大企業がコンピュータと情報を独占しようとしていたのに対し、ハッカーたちは世界大で情報共有を実現するネットワークをつくりあげた。情報公開、共有こそ民主主義を支える根幹であり、そのためのツールとしてコンピュータを使うのだ。 その結果、サイバースペースという新しい世界に出会い、彼らの興奮はまたさらに高まる。ふつうの市民生活では出会えないよ

    なぜネットはアクセスするだけで高揚するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/02/24
    「政府や大企業がコンピュータと情報を独占しようとしていたのに対し、ハッカー達は世界大で情報共有を実現するネットワークを作り上げた。情報公開、共有こそ民主主義の根幹」「道具は力の拡張であり、快感を生む」
  • なぜボクは映画「ディア・ドクター」で泣いたのか(ネタバレ) - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「彼らは自分のしていることをよく知っているが。それでも、彼らはそれをやっている」 映画「ディア・ドクター」(ASIN:B002QV1H8K)が数々の賞をとっている。レンタルでDVDが出たので見てみた。びっくりしたけど最後のシーンで涙が出た。自分でもなぜかわからなかった。 最初はちょっとした出来心だったのだろう。過疎地で医者になりすます男。父が大病院の医者で憧れたが医者になれずに医療メーカーのセールスマンをやっていたのだろう。それを示すのが父から盗んだペンライトを使う場面でわかる。 出来心だったのが、勤務すると、回りの期待が大きかった。過疎地での医療への活動は大きく、期待される。ここに日の医師不足、僻地医療の問題がある。その期待は単に医療技術だけではなく、閉鎖された地域の精神的な存在として期待される。男はその期待に圧倒されとまどいつつも、医学書を読み勉強し、期待に応えようとする。それでも男

    なぜボクは映画「ディア・ドクター」で泣いたのか(ネタバレ) - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/02/18
     ※ネタバレ注意※ 「(出来心から)過疎地で医者になりすます男」「病院の息子は「父こそが偽物だ」という。男の中に~真の医師とは免許なのか、現代の患者と向き合わない医療倫理の問題が浮き彫りにされる」
  • ドコモがいかにウェブに革命を起こしたか 「古き良きインターネット」の終焉 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    先の「ウェブでは「フリー」が基であるというのは当か」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100213#p1に質問がありました。 愚樵 2010/02/14 06:44 pikarrrさん、はじめまして。 “ウェブでは「フリー」が基であるというのは当か”という問いかけは、“ウェブは「フリー」なのか”、“ウェブは「フリー」でよいのか”という2つの問いのうちのどちらになるのでしょうか。私は、ウェブは「フリー」が基になったからこそ“ウェブは「フリー」でよいのか”という問いかけが生まれてきたように感じるのですが。 ITフェティシズムという転倒 愚樵さん はじめまして。 「ウェブでは「フリー」が基であるというのは当か」という問いは、いまウェブではフリーが基である。しかしこれはほんとうに当然のことなのか。変化する環境の中で当然でなくなるのではないか、というこ

    ドコモがいかにウェブに革命を起こしたか 「古き良きインターネット」の終焉 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/02/18
    「ウェブは混沌。だから安全・簡単・短時間が重要」「i-modeはコンテンツ/プラットフォーム/インフラ/端末の4層を垂直統合する事で安全で、簡単で、短時間なサービスを提供する事に成功」「安全、簡単は金になる」
  • なぜドコモが時代を先取りしえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    pikarrr ウェブのこれからを書きました。「ドコモがいかにウェブに革命を起こしたか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100214#p1 Sheeps_Head*1 ブログ読みました.一つ疑問があります.ドコモの戦略と,これからのグーグル・アップルの戦略とが似通っているのは,市場を囲い込もうとしている企業は同じような戦略を採る,というだけで,ドコモが時代を先取りしているとはいえないのではないでしょうか? pikarrr どこまでドコモが意図していたかはわかりませんが、結果的に垂直統合型を世界に先駆けた。それはとても日的な信頼重視です。おそらくアメリカ人には発想し得なかった。そしてその成功を、アップルがアメリカ覇権のもと真似て成功しているわけです。 Sheeps_Head ドコモは元々が電電公社だけあって,信頼を重視したのでしょうね.しかし,同じ垂直統合

    なぜドコモが時代を先取りしえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/02/18
    「実社会とウェブの二項対立は、ITフェチが作りだした空想、ウェブが一般的に解放されれば、消えてなくなる。その空想はグーグルなど水平型プラットフォームが支えている」「垂直統合の信頼とは課金を任せる信頼」
  • パソコンがウェブユーザーにフリーを訓練したように携帯端末は課金を訓練する - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    サイバースペースの独立性 汚物にまみれた産業界と癒着した世界中の政府に告げる。醜く肥え太り正常な判断力を失った貴様等忌むべき独活の大木どもよ、私は魂の新世界、電脳空間からの使者だ。やがて訪れる未来の為に言う、我々に干渉しないでくれたまえ。貴様等は我々にとって歓迎すべからざる存在だ。この電脳世界に集う我々に対して貴様等は統治する術など持ってはおるまい。 ・・・我々は電脳世界に魂の文明を造り上げる。それはきっと貴様等が造り上げた世界よりはるかに人間的で素晴らしい世界となるだろう。 一九九六年 二月 八日 ジョン・ペリィ・バァロウ サイバー反体制派 電子フロンティア財団共同設立者 http://www.asyura.com/2003/dispute6/msg/284.html ウェブにはその始めから実社会とは異なる独立性をもってきた。国家とは異なる秩序、資主義とは異なるエコノミー、そして新たな

    パソコンがウェブユーザーにフリーを訓練したように携帯端末は課金を訓練する - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2010/01/26
    「ケータイ世代はパソコン世代のようなウェブの独立性を学ぶ事がない。帰属意識は実社会のままで、日常生活との連続性として便利なツールとしてウェブを活用する。ネットは特別なものではなく便利な回線でしかない」
  • ウェブは実社会と変わらず貨幣の力で動いている - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネットは実社会と変わらず貨幣の力で動いている 素朴にネットこそが左翼的な世界を構築する理想的な場ではないのか。現に「民主化」はネットを象徴する言葉として使われる。しかし実情は、左翼思想は嫌われ、自由競争、市場主義が歓迎されている ネットは実社会と変わらずまさに貨幣の力で動いている。この貨幣の力とはなにか?実社会の貨幣の力とは、単に「金に汚い」守銭奴的なことではない。実社会でもみなただ金を儲けるために働いているのではない。その意味で、実社会の資主義の拡張としてネットがあるということだ。 ウェブに生まれる反資主義、共同体幻想の不思議? ウェブはほぼ無償で愉しむことができるが、その経費はテレビ同様に広告費でまかなわれている。さらに無償で働くユーザーの生活は実生活の賃金により支えられている。また彼らが公開する知見の多くも実社会の仕事の経験からくるだろう。次々現れるウェブサービスの開発のインセン

    ウェブは実社会と変わらず貨幣の力で動いている - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/12/29
    「誰もがロングテール市場なんか求めていない。やりたい人がただ趣味でやってるだけだ。儲けるのはロングテールの場を供給したり、ナビゲートするメタ・ロングテール屋。ロングテールとは貧困の新しい呼び名である」
  • なぜ「死」は文化コンテクストなのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「死」は存在しない そもそも「死」なんってないんです。動物に「死」がありますか?たとえば小学生でやりましたが、ジャガイモって切れ端を水につけると芽が出るんですよね。植物はそもそも個体というものがなくて、マングローブとは全体が広く繋がって増殖しつつ何万年も生き続けているんです。増殖でいうと人も最近クローン技術とかあります。 たとえば蜂を考えましょう。働き蜂はその形態が全体の一機能ですね。蜂にとって死とは一匹の死か、群れ全体の死か、中心の女王蜂の死か・・・死とは定義の問題ですね。人は全体の一部でありつつ強い自我をもち、死とは個人の死でありたい。 だから葬儀などやる必要ないんです。いってしまえば葬儀は残された人の自己満足です。だって死んだらわからないじゃないですか。 「死」と尊厳 でも映画「おくりびと」には号泣しました。そこに人生という一つの「物語」があり、葬儀とは物語の完結であり、一人の尊厳の

    なぜ「死」は文化コンテクストなのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/12/13
    「そもそも「死」なんてない~植物は個体というものがなくて、マングローブは全体が広く繋がって増殖しつつ何万年も生きている」「葬儀は物語の終わりの演出。それがなければ人ではない」「「死」そのものが言語」
  • なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マクロコンテクスト、ミクロコンテクスト 宝くじで一等にあたることは奇跡といってもよいだろう。そして人生さえもかえてしまう。しかし宝くじというシステムにとっては一等がでることは当たり前である。それを見越して収益が出るように統計的に設計されている。 たとえば飲酒運転の車に追突されてしまう。これは不幸でついていないことである。人生を狂わせて家族のその後さえも大変なものにしてしまう。あと少し時間がずれていれば事故にあわなかっただろう。しかしある交差点ではある確率で事故が起こるというような統計的な必然性があると言われる。 このようにミクロコンテクストでみると特異なことが、母数を増やして観測すると正規分布などの一定の分布に収まってしまう。だからマクロコンテクストではほんどの現象は確率論的な必然として回収されてしまう。たとえば背丈、あるいは性格、あるいは幸福な出来事も、不幸な出来事も、誰かに起こっただろ

    なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/09/23
    「「生きたい」というミクロコンテクストの強い欲望は隠されている」「マクロコンテクストとは本質的に「お金」」「(「幸せ」は愛されて(ミクロ)達成する)全体の一部(マクロコンテクスト)では達成されない」
  • なぜ知識人は現代の超・格差を語れないのか セカイ系権力の誕生 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    歴史を予測することの胡散臭さ ボクたちは「歴史」は不可逆性(1回性)であって、そこに何らかの法則性を見出し語ることが胡散臭いことを知っている。この歴史の不可逆性は、進歩史観とは違う。進歩史観は時間的な法則性を見出そうとすることである。「歴史」の不可逆性はなんの法則性も見いだせない。なにが起こるかわからない不確実性があるだけだ。 それにも関わらず、自分自身の生活ではなんらかの反復・法則性を見出そうとする。自らも「歴史」の一部であることに目をつぶろうとする。体験したことがくり返されていくのだろうと考えることは、生きる知恵である。もし体験したことが将来にまったく無効であれば、ボクたちはなにを頼りに生活を保障すれば良いのかわからない。だから体験を時系列に並べラインを引き、未来へと外挿し予測する。これは個人的な問題ではなく、社会秩序というマクロレベルの計画として実行される。近代の進歩史観はこのような

    なぜ知識人は現代の超・格差を語れないのか セカイ系権力の誕生 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/07/27
    「マクロの管理の発展はミクロのゆらぎを増幅し、歴史の不可逆性を加速させ」「主人公はヒーローではない。使命をもってセカイを救うわけではなく、身近な者を助けたいという卑近な想いがセカイの運命へ短絡する」
  • なぜ自由主義は格差を生むのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    自由主義の楽観的信頼 近代の自由主義経済は、基的に「社会的信頼」の上に成り立っている。アダムスミスの「神の手」、あるいは同士ヒュームのコンベンション(慣習)など。社会なぜ機能するのか。ホッブズの君主との契約説やロックの自然権説などとは異なり、自由主義者は、人々が社会を存在させようとふるまうことで機能していると考える。これが社会的な信頼だ。 このような古典自由主義の「社会的信頼」があるから大丈夫と考えるのは楽観主義でありそう単純ではないだろう。確かにみなが社会的な慣習(コンベンション)に従いふるまうし、人が同じようにふるまうだろうという信頼関係で成り立っている。しかしそれとともに、信頼関係は家族、友達、母校、地域、国(ナショナリズム)などのように、協力とともに排他も生み、偏在する。その一つが富める者たちが大衆を排他し富を独占する協力関係を形成する「上流層」である。 ハイエクのリバタリアン(

    なぜ自由主義は格差を生むのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/07/27
    「自由競争は下流層で進む」「もっとも自由化が進まないのが権力者の層である。権力者の層にはその上の層はないのだから自由を強制する力が働きにくい。数少ない超・階級同士の協力関係は維持され下からは見えない」
  • 経験主義について考えてみた - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ヒューム 自生的秩序(コンベンション) ボクの立場はとにかく経験主義です。経験主義的な立場とはまず「自生的な秩序」があるということです。このような経験主義を明確化したのはヒュームでしょう。ヒュームは自生的秩序をコンベンション(慣習)と呼びます。合理主義や法など言語活動はいつもコンベンションの後から来る。そしてこのような合理主義は重要ではあるが必ず失敗する。それは言語の限界であって、知の限界です。 そして注意する必要があるのが、言語表現の軽さです。言語表現はすべてを軽いものにしてしまう。操作可能にしてしまう。そこに失われる「重さ」は、コンベンションに繋がっています。コンベンションは環境であり、そして環境と接する身体です。いくら言葉で語ろうが容易に変化しない重さ。それは、物質的な環境であるとともに人そのものです。人は生まれ落ちた環境、文化、社会、関係性などに密接に結びついて切り離すことができな

    経験主義について考えてみた - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/07/23
    「注意すべきは言語表現の軽さ。言語表現は全てを軽く、操作可能にしてしまう。そこに失われる重さは、コンベンション(慣習・身体)」「慣習の重みを言葉という軽さでしか捉えられないということもまた人間の重さ」
  • まだエヴァンゲリオンを語ることはできるのだろうか 映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ファリックガールズの殺害 映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきました。「序」も面白かったが、それ以上に興奮した。見終わったあとの爽快感。でもなにかが違うぞ。エヴァ見た後に感じる特有のむかつき、イライラがないのだ。 エヴァンゲリオンはセカイ系の代表作の一つとして言われてきた。セカイ系の一番の特徴は「現実界(言葉なき不安)の迫り出し」である。物語があり好敵手がいるわけではなく、敵か味方かもわからず漠然とした不安が迫ってくる。そしてセカイ系と言われる物語の多くはこの「言葉なき不安」と主人公の生活をつなぐ点に神聖な戦闘美少女がいる。斉藤環は「ファリックガール(ペニスをもつ少女)」と呼んだ。そして美少女の無垢さが「言葉なき不安」を敵として、そして物語として成立させる。主人公は彼女とつながることでセカイの中心にいることができる。 エヴァンゲリオンのファリックガールと言えば、綾波レイであり、アス

    まだエヴァンゲリオンを語ることはできるのだろうか 映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/07/19
    「セカイ系は「言葉なき不安」と主人公の生活をつなぐ点に神聖な戦闘美少女がいる。美少女の無垢さが「言葉なき不安」を敵として、物語として成立させる。主人公は彼女とつながる事でセカイの中心にいる事ができる」
  • なぜ自由主義に主権は存在しないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    主権と統治は例外状態で交差する 渋谷は著書「魂の労働」の中で、フーコーが明確に示さなかった主権と統治の関係を考えている。フーコーの転回といえば、それまで上下の主権による抑圧の関係だった権力を、統治という横の権力として描いたことにある。しかしフーコーは主権を否定したわけではなくともに働くものとしたが、その関係を明確に語られなかった。それは再び、左派的な大きな主権にもどることを嫌ったからだろう。 渋谷はこの二つをつなぐキーワードとしてアガンベン(シュミット)の「例外状態」をもってくる。主権は例外状態に決定するものである。また統治は法に依拠しない例外状態に作動する。ここにおいて「統治と主権は交差する。」 (フーコーが)近代の権力の付置として提出されたのが、「主権−規律−統治」の三角形である。・・・だがフーコーは両者(主権と統治)の関係について−というより主権そのものについて−それ以上に詳しく言及

    なぜ自由主義に主権は存在しないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/06/27
    「(自由(可能性)とは危険であり)この剥き出しの危険を運営するのが自由主義統治」「人々が知らない情報を得る事で優位に(投資)交換を進める」「優位性を求めて自由を管理しようとする主権もどき達の権力闘争」