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2009年2月12日のブックマーク (6件)

  • 福沢諭吉 瘠我慢の説 瘠我慢の説

    立国(りっこく)は私(わたくし)なり、公(おおやけ)に非(あら)ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海(さんかい)天然(てんねん)の境界(きょうかい)に隔(へだ)てられて、各処(かくしょ)に群を成し各処に相分(あいわか)るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣の富源(ふげん)あれば、これによりて生活を遂(と)ぐべし。また或は各地の固有に有余(ゆうよ)不足(ふそく)あらんには互にこれを交易(こうえき)するも可(か)なり。すなわち天与(てんよ)の恩恵(おんけい)にして、耕(たがや)してい、製造して用い、交易(こうえき)して便利を達す。人生の所望(しょもう)この外にあるべからず。なんぞ必ずしも区々たる人為(じんい)の国を分(わかち)て人為の境界を定むることを須(もち)いんや。いわんやその国を分(わかち)て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや隣(となり)の不幸を顧(かえり)みず

  • 最終戦争論 (石原 莞爾)

    石原莞爾の主著である。来るべき最終戦争によって世界は統一され戦争がなくなる、その戦争は日を中心とする東洋とアメリカを中心とする西洋の決戦である、という独特の思想を主として戦史分析の観点から詳述している。 1940(昭和15)年5月29日、石原莞爾は京都市にあった福島清三郎(東亜連盟会員・柔道家)の道場、義方会において、「人類の前史終らんとす」と題した講話を行った。これを筆記・整理したものが、「世界最終戦争論」である。B6判88頁の小冊子として立命館出版部から刊行された「世界最終戦争論」は、数十万部に及ぶベストセラーとなった。その後、同書の読者から寄せられた質問への回答をまとめ、1942(昭和17)年3月20日に新正堂から出版された『世界最終戦争論』に、「世界最終戦争論」、「戦争史大観」、「戦争史大観の由来記」と共に、「『世界最終戦争論』に関する質疑回答」として収録された。ただし著者は、1

    最終戦争論 (石原 莞爾)
  • 世界最終戦論 - Wikipedia

    『世界最終戦論』(せかいさいしゅうせんろん、世界最終戰論)は、大日帝国陸軍の軍人である石原莞爾(いしわら かんじ)の代表的著書である。1940年(昭和15年)9月10日出版。『最終戦争論』(さいしゅうせんそうろん)とも呼ばれる。書の題名は『世界最終戦論』(せかいさいしゅうせんろん)または『最終戦争論』(さいしゅうせんそうろん)であり『世界最終戦争論』(せかいさいしゅうせんそうろん)ではない[1]。 概要[編集] 書は1940年(昭和15年)5月に京都で行われた「人類の前史終わらんとす」の講演内容が元になっている。立命館大学教授の田中直吉によって筆記され、9月に立命館出版部より88頁の冊子として初版が発行された。1942年(昭和17年)に立命館の初版の内容に加えて『「世界最終戦論」に関する質疑回答』、『戦争史大観』、『戦争史大観の由来期』を含めた著作として新正堂から出版された。 石原は

    castle
    castle 2009/02/12
    「石原はヨーロッパ戦争史の研究と日蓮宗の教義解釈からこれを構想」「石原自身は戦後にはこの思想を捨てている」「東亜連盟と、米国の決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまる」
  • 生存圏 - Wikipedia

    生存圏(せいぞんけん、ドイツ語: Lebensraum、レーベンスラウム)とは、地政学の用語であり、国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す。日語では生空間とも訳される[1]。 概要[編集] 生存圏とは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされており、その範囲は国境によって区分されると考えられている。ただし国家の人口など国力が充足してくれば、より多くの資源が必要となり、生存圏は拡張すると考えられ、またその拡張は国家の権利であるとされている。また生存圏の外側により高度な国家の発展に必要な、経済的支配(必ずしも政治的支配が必要ではない)を及ばせるべきとされる領土を「総合地域」と理論上設定している。近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなったため、生存圏理論を国家戦略に反映させることはなくなっている。 生存圏という言葉は、国家社会主義ドイツ労働

    castle
    castle 2009/02/12
    「生存圏(独語でレーベンスラウム、生活圏)は国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す」「生存圏は拡張する」「近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなった」
  • 国民社会主義ドイツ労働者党 - Wikipedia

    国民社会主義ドイツ労働者党(こくみんしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう、ドイツ語: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei  発音[ヘルプ/ファイル])は、かつて存在したドイツの政党。公式の略称は、NSDAP[1]。別称は、ナチ、ナチ党、ナチス、ナチス党。 概要[編集] 1924年5月4日総選挙では急進右翼組織[20] (極右[8][9])、1930年9月の選挙戦以降、左翼以外の広範な支持を集める国民政党となり[21]、ヴァイマル共和政末期には包括政党の色彩が強くなった[22]。その運動およびイデオロギー、思想原理、理念・支配形態一般をナチズムという[23]。 派生用語として生まれた「ネオナチ」は、ナチズムとは別に極右民族主義や反共産主義などの極右思想の組織、また個人等を包括的に表す言葉として国際的に使用される。人種を問わず多岐に存在

    国民社会主義ドイツ労働者党 - Wikipedia
    castle
    castle 2009/02/12
    「1933年、立法権を国会からヒトラー政権に委譲させた。これはどんな法律も議会の審議を経ないで制定できる」「ヴァイマル憲法によって成立した基本的人権や労働者の権利の殆どを停止、合法的な独裁体制を確立した」
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    今の自分は、出会った人や読んできたによって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…

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    castle
    castle 2009/02/12
    「だから、お前の苦しみや悲しみはオレのものだ」