【酒井泰斗さんへのお返事であり、「4」のつづきです。】 私がエスノメソドロジー(EM)に求めたのは、 投げ入れられた状況に一方的に流されたり利用されたりしている人に、 状況を問題化するための手続きを与える ことであり、例えば以下のような必要がありました*1。 記述したディテールが、責任追及のための証拠価値を持つ 一方的な被害者意識ではなく、関係や事案のオリジナルな言語化を手助けする 誰に対しても、逸脱や制度順応そのものを口実にさせない 問題処理のパターンそのものをテーマにできる 現状のひきこもり論は、「わかりやすいけど、必要なことを考えてない」ような議論ばかりだし、たとえば「法的に」取り組んでも、必要な問題構造を扱ったことになりません(訴訟が意味を持てば別ですが)。 以下で詳しく論じますが、 弱者に味方しているから許される 学問的に語っているから許される ○○当事者だから許される この3つ