タグ

2011年2月18日のブックマーク (5件)

  • 四万十川での日々徒然|韓国財閥の循環出資構造のジレンマ(中編)

    東京から四万十川の山奥に移住してきました。 そこでは、奮闘の日々が待っていました。滑床渓谷でキャニオニングガイドもしています。 今回は、前編の続きです。 韓国の株式は、金融危機以前は、詳細なデータは分かりませんが、全体の7割くらいが外国資になっていたはずです。 ともかく、外資が大部分を握っていたのです。 ということは、循環出資構造で純利益を押し上げる配当益の何倍もの金額が外資に流れているということなのです。 むしろ、そのおこぼれが韓国の資家に流れいるに過ぎないのです。 ・・・・ ・・・ ・・ ・ すごいですね、ハゲタカさん。 そもそも、韓国経済は、97年の通貨危機において、壊滅寸前まで陥ったわけです。そこからV字回復したのですが、こういう急激な動きには、必ず無理があるわけです。 よく言われるのは、日経済がバブルの後遺症で投資を控えている間隙を縫って積極的投資をした韓国企業の決断による

    castle
    castle 2011/02/18
    「通貨危機で経済が壊滅寸前だったのにどこにそんな投資資金が? 韓国内にあるわけありません。外国資本、主に米国資本がそれだったのです。IMFの融資を受ける条件に、外資の株式保有を25%以下から55%に引き上げる」
  • 韓国企業の秘密 - おかくじら

    このブログの考察に私が調べたことをプラスするとこうなります。 (1)韓国の財閥は通貨危機の時に米国の証券会社から大量の出資を受けた。 (2)韓国の財閥の系列は解体され、分社化も進み、社には企画部門と品質管理部門と最終組み立て部門だけが残った (3)下請けの間の競争を徹底させ、品質管理を強化した (4)最終組み立て部門は米国からの出資を受けて最新の設備を入れ、自動化を進めた (5)これによって日企業と競合できる品質をものすごく安い価格で実現した これによるデメリットは以下の通り、 (1)韓国企業は配当性向が非常に強く、利益はほとんど外資に持っていかれてしまって従業員には還元されない (2)自動化と下請けの競争によって、経済が成長しても雇用が増えない社会になってしまった (3)下請けの正社員の給与が財閥の正社員の半分、非正規社員はもっと低額な給与で働くことを余儀なくされるなど、格差が広まっ

    韓国企業の秘密 - おかくじら
    castle
    castle 2011/02/18
    「米国が韓国企業のダンピングに異様に寛容なのは、韓国企業が資本的には米国の持ち物だから。これにより韓国は貿易黒字が積み上がっても自国民が全く豊かになれない。しかもカードローンが危険なほど積み上がって」
  • 四万十川での日々徒然|韓国財閥の循環出資構造のジレンマ(前編)

    東京から四万十川の山奥に移住してきました。 そこでは、奮闘の日々が待っていました。滑床渓谷でキャニオニングガイドもしています。 ところで、こちらの記事で、韓国企業の会計には謎が多いと書きましたが、どうもこれは、韓国の大企業が循環出資構造にあることに起因しているようですね。 循環出資構造とは、A社がB社の株式を保有し、B社がC社の株式を保有し、C社がD社の株式を・・・・という感じで、数珠繋がりで株を購入し、最終的に、Z社がA社の株式を保有することで、A~Zまでの26社が数珠のような循環した形で、株を持ち合い、財閥を構成するものです。 サムスンならば、サムスン電子がサムスンカードを、サムスンカードがエバーランドを、エバーランドがサムスン生命を、サムスン生命がサムスン電子を・・・という感じで成り立っています。 それから、この構造では、株の持分会社のような親会社というものはありません。親と子の関係

    castle
    castle 2011/02/18
    「株式の一部を系列間で数珠繋がりのように保有して、それを循環させるだけで、配当金の額が増額されていく。土地転がしではなく配当転がし」「残りの株式は誰が持っているのでしょうか?かなりの部分は、外国資本」
  • 昔,大人たちは皆いつも怒っていた - 諏訪耕平の研究メモ

    以前,日人はよく怒っていた。僕がバイトを始めた15年ぐらい前はそんな時代だったと思う。バイト先には必ず怒る大人がいた。ラーメン屋で働いていたとき,そこは遊園地の中のラーメン屋だったので,ラーメンの隣でトウモロコシを炊いていた。そしてその日は連休か何かで,ものすごく忙しかった。トウモロコシは飛ぶように売れていて,トウモロコシ売り場のバイトの少年が,「トウモロコシできましたか?」と我々の働くラーメン屋にやってきた。ラーメン屋の責任者だった40歳ぐらいで小太りでパンチパーマの佐藤さんは,「まだだよ!」と叫んだ。その少年は,多分おおにぎわいでテンションも上がっていたのだろう,「見てみなきゃ分からないー♪」などと歌いながらトウモロコシを煮ている鍋に近づいていき,ふたを開けた。その瞬間,佐藤さんは「まだだっつってんだろうが!馬鹿野郎!」と怒鳴った。少年はしゅんとして帰っていった。 雀荘で働いていたと

    昔,大人たちは皆いつも怒っていた - 諏訪耕平の研究メモ
    castle
    castle 2011/02/18
    「ラーメン屋や雀荘,コンビニや新聞配達,引越屋,工場など色んなところでバイトをしたがどこにも必ず怒る大人がいた。ちょっと怒る事が多い大人というのが必ずいた」「怒ってもやり返されなかったからではないか」
  • ysay.net

    castle
    castle 2011/02/18
    「長時間同じ体勢でいた後に動くと起こりやすい」「日常生活の中で腰まわりの強化を計らなければなりません。正しい姿勢を心がけ、長時間パソコンなどをせず、ストレッチなど柔軟性をつける。急な動作を避けること」