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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/reflation2008 (1)

  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記

    何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば書の基的な認識を奇妙なものにするのに十分である。 「こ

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記
    castle
    castle 2008/08/27
    「世の中が正しい価値や生きる意味を示してくれないのは当たり前=前提、そんな前提にいじけて引きこもったら生き残れない。だから「現代の想像力」は生きていくために、まず自分で考え、行動するという態度を選択」
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