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ブックマーク / minajump.hatenadiary.org (2)

  • 「脳死移植ゼロ」という現実―「脳死移植」の理解が深まるとは、いかなることか - 社会学と生命倫理の迷い道

    先週になってしまいましたが、9月4日の日経新聞朝刊社会面に「脳死移植 半年ゼロ」という記事がありました。 NIKKEI いきいき健康 ネット版では冒頭の2段落分しかありません…(今日のエントリーの最後に記事全文を引用しました) この7月に「臓器移植法改正」が国会で可決・成立したのですが、この半年間、脳死状態からの臓器提供事例が全く無い、というのがここで確認されていることです。7月14日のエントリーでは、「いつ「第82例」が実施されるのか」として、既に「ゼロ」が続いていることを指摘してあります。今回の日経新聞の記事は、その「ゼロ」がまだ続いていることを指摘しているわけです。 なぜ「ゼロ」なのか、というわけですが、日経新聞の記事では、日臓器移植ネットワークの担当者の話として、「臓器移植法改正」論議の影響が指摘されています。 この「改正論議」においては、脳死状態と判定されても1ヶ月以上心臓が動

    「脳死移植ゼロ」という現実―「脳死移植」の理解が深まるとは、いかなることか - 社会学と生命倫理の迷い道
  • アメリカの「中絶」/日本の「脳死」 - 社会学と生命倫理の迷い道

    で「脳死」をめぐる議論に決着がつかないことを「遅れている」と言われることがありますが、文化・社会が異なれば、社会問題化する「生命倫理の問題」も変わります。よく例に挙げられるのは、欧米では「生命の始まり」に関わる「中絶」や「胚性幹細胞(ES細胞)研究」が政治的な問題となり、他方で日では「生命の終わり」に関わる「脳死」や「安楽死」が問題になる、ということです。 今日のニュースに、こうした「違い」を改めて感じました。 http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200906010003.html http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009060100109 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4146578.html http://www.yomiuri.co.jp/world/news/200

    アメリカの「中絶」/日本の「脳死」 - 社会学と生命倫理の迷い道
    cham_a
    cham_a 2009/06/02
    「日本でも、暴力事件の「理由」や最高裁判事の任命に際して、「中絶」がスポットライトを浴びるようにならないと「遅れている」のか」この件では「アメリカ」が遅れてるって事で、別に矛盾にはならないのでは?
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