2012年7月13日のブックマーク (5件)

  • Wearable Ideas RLL - カルチュラル・タイフーン+広島文化台風

    今週末14日15日は、今年もやってきました文化研究の祭典カルチュラル・タイフーン! RLLは、ある意味でカルチュラル・スタディーズから生まれた活動ともいえます。文化研究と文化実践の混じり合うなんだかよくわからない僕ら活動は、このカルチュラル・スタディーズの呪われた部分を表象するプロジェクトなのだと我々のIndependent Cultural Jammers(アカデミズムから独立した文化的攪乱者)という肩書きは物語ります。2006年下北沢で上野俊哉さんのセレクトでパネル「文化研究/文化政治の呪われた部分;エクスプレスウェイ(自動車専用道路)に抗して、表現的アクションのために」で発表して以来(かの肩書きは、そんとき付けられた!)、カルチュラル・スタディーズの外延を走り続け、研究からの逃走をしてきた幾数年ですわ。先端や前衛や切っ先に居るという自覚はないですが、退屈な研究をすればするほど文化

    changpian
    changpian 2012/07/13
    これ、なんだろう。もちろん「カルタイ」は知っているけれど、一番下の「空族と魯迅」のところに「中国文芸研究会」の名前が。自分の知る限り中国文芸研究会は関与していないのだが。
  • 「韓国映画がアジア最高になったのは韓国人の根気のため」(1)

    韓国映画の巨匠、鄭昌和(チョン・チャンファ)監督(84)が第11回ニューヨークアジア映画祭(NYAFF、6月29日-7月15日)で終生功労賞を受賞した。 鄭監督は映画「死の五指」(1972)で、米国にカンフーブームを起こした主人公だ。 「パルプ・フィックション(Pulp Fiction)」で有名なクエンティン・タランティーノ監督は、映画「キル・ビル」(Kill Bill)で、鄭監督に向けたオマージュ(Hommage、先輩映画人の業績に対する敬意の表示として感銘深いセリフや場面を真似ること)として、「死の五指」に登場した場面を再演し、音楽も同じものを使用した。 「韓国アクション映画の創始者」と呼ばれる鄭監督に最近、ニューヨーク・マンハッタンのキタノホテルで会った。 --昨年のツイ・ハーク(徐克)監督など、主に香港の監督が受賞してきた。韓国の監督では初めての受賞となる。 「ツイ・ハーク監督

    「韓国映画がアジア最高になったのは韓国人の根気のため」(1)
    changpian
    changpian 2012/07/13
    香港映画でも活躍した鄭昌和監督インタビュー。「死の五本指」って『キング・ボクサー 大逆転』(原題:天下第一拳)のこと?
  • tv asahi|テレビ朝日

    changpian
    changpian 2012/07/13
    7月19日(木) の「徹子の部屋」ゲストは欧陽菲菲。
  • ジャズ歌手デビューの八代亜紀 地元・熊本での“隠し子&暴力団騒動”恐怖の顛末

    芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす! かつて“演歌の女王”と呼ばれた八代亜紀が、ジャズ歌手として、10月10日にユニバーサル・ミュージックからアルバムを発表するという。その公開レコーディングが7月11日に行われたが、八代については、忘れたくても忘れられない思い出がある。 八代は熊県の中学を卒業後、上京。演歌歌手としてデビューする前は、銀座のクラブ歌手だった。その頃、後に日レコード大賞の賞レースで“五八戦争”といわれてしのぎを削ることになる五木ひろしも、銀座のクラブで弾き語りをやっていた。 八代は1971年にデビュー。その後、「なみだ恋」や「愛の終着駅」「舟唄」と次々にヒット曲を飛ばして、スターの座に上り詰めた。その頃に、親しい芸能関係者から「八代には上京する前、熊県八代市のキャバレーで歌っていた時に、地元の

    ジャズ歌手デビューの八代亜紀 地元・熊本での“隠し子&暴力団騒動”恐怖の顛末
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    changpian 2012/07/13
  • 流金歲月:葛蘭的熱心腸 - 香港文匯報

    changpian
    changpian 2012/07/13
    今日の香港文匯報に、50-60年代香港のDIVA、葛蘭についての記事が!