――洪里奈(ホンリナ)さん。コリアNGOセンターで日韓イベントなどに携わる28歳の在日コリアン3世。夫の姜豪峰(カンホボン)さんと大阪で暮らす―― 日韓の国交が正常化してから50年の節目の年でしたが、産経新聞前ソウル支局長の裁判などのニュースが流れるたび、地道に草の根の交流を続ける人たちの努力が踏みにじられるような気がしました。 ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)もそう。この夏も東大阪の駅前で見かけました。大人が「在日韓国・朝鮮人の皆さん、本国に帰ってください」と冷静な口調で繰り返していました。何より怖かったのは、多くの人が何事も起きていないかのようにヘイトスピーチの現場を通り過ぎていったことです。 講師をしている民族学級の子どもも見たらしくて、「先生、悔しい」と言っていました。「日本のみんなが言うてるんじゃないで」って言いましたが、無関心な人の姿を思い出すと今も怖い。私自身すごくしんどく、
ルイス・ブニュエルの映画『忘れられた人々』を観た衝撃を何と表現すればいいのだろう。 まるで激烈極まりない鴆毒の仕込まれた酒を呑んで悪酔いしたような気分に陥った、とでも言うべきか。当時、あるベテラン脚本家がシナリオを体得する方法として、これと思う映画の採録をせよと教えていたが、私は無謀にもこれと思う採録すべき映画の最初の一本にこのフィルムを選んでしまった。 恐らくは、通常の映画が持つモラリッシュな文脈から著しく逸脱したその攻撃性や残酷なまでのリアリズムを、自分の中でどのように整理していいのか分からぬまま、模索的に採録したのだったと思う。 郷里のちっぽけな洋画専門館で、2本立ての外の1本が邪魔だったけれども繰り返し観て、客席の最前列のスクリーンの照り返しの中でノートにメモを取り、そのメモと記憶を頼りに『忘れられた人々』の採録シナリオを完成させた。 冒頭、いかにも真面目で型通りのナレーションから
複数の場を往還する表現者による異郷体験=漂泊がもたらした、小説・詩・劇・旅行記・映画・流行歌などの様々な叙事。ある場と作家との接触、作品と受容者との接触という観点から、多彩な叙事のあり方を立体的に読み解き、柔軟な文化史を創成する。 序文 戦争の叙事と叙事の戦争 王徳威 戦争の流変 張小虹 大分裂時代における東南アジア華人文化の断絶と存続 李元瑾 詩句は流亡を記すのみにあらず 陳平原 戦う文芸と声の政治 梅家玲 詩、戦争、内通 高嘉謙 戦争と詩、戦争の詩 唐顥芸 浮雲を看て世事を知るに慣る 季進 張愛玲『五四遺事』における「五四」と四〇年代の「遺事」 王風 葉霊鳳の小説創作とビアズレー 梁敏児 金沢第四高等学校における齊世英 杉村安幾子 「情」のユートピア? 呂淳鈺 満洲国留学生の日本見学旅行記 羽田朝子 海/港に見る台湾 陳培豊 台湾を愛す、巍巍として海の中間に立ち 沈冬 『期待と焦慮』
1960年、大島渚監督、松竹。 まぁ、こんなテーマ掘っていたら、やたら出てくる大島渚。 世代的には、朝生やらみうらじゅんのバンドの方を まず思い浮かべてしまいますが、1960年代の作品をあれこれと。 昔、このブログにて 「浪速区から西成区にかけてが舞台。 津川雅彦と佐々木功が汽車に轢かれたのは、関西本線だろうか。 青大将と北の国からの印象が強いので、暴動を起こす田中邦衛が新鮮。 羅生門綱五郎、大活躍。藤原釜足も、熱演。永井一郎、合掌」 と書きました。その時見た際のメモには、 「ピジンジャパニーズを操る人々」 「戸籍を売る羅生門、買い集める小池朝雄」等々。
初めての教え子謝さん。現在は北京の大学で教鞭をとっている 大学教育の現場から4「私の学生指導」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第6週 文・写真:西村友作 私が所属する対外経済貿易大学・国際経済研究院は大学院のみのコースです。つまり、所属する学生は本科生(学士課程の学生)ではなく、博士・修士課程に通う大学院生のみとなっています。大学院生の主な任務は研究。我々教師も日ごろの講義だけではなく、学生たちの論文指導も極めて重要な仕事となります。 中国において大学院生以上の学位論文の指導教官は国家資格となっており、博士課程、修士課程の指導教官はそれぞれ『博士生导师(博导)』、『硕士生导师(硕导)』とよばれています。『硕导』は副教授以上と規定されていますので、2013年に副教授昇進を果たした私が直接学位論文を指導した学生は多くありませんが、これまで合計4名の大学院生の指
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く