【香港=木原雄士】香港の映画産業が存亡の機に立っている。地元映画の公開数や興行収入が激減するなか、香港国家安全維持法(国安法)による検閲強化で中国の意向に反する作品づくりが難しくなったためだ。「燃えよドラゴン」など世界的なヒット作品を手掛けた老舗大手は香港外に軸足を移しており、「東洋のハリウッド」と呼ばれたかつての面影は失われている。「香港映画は悲惨な状況だ。人気作品ですら利益をあげるのが難し
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台湾時代の光田一家(明正氏は左端)=光田明正氏提供ひとりの男のことを書きたいと思う。光田明正(みつた・あきまさ)(85)。文部省(当時)留学生課長、学術国際局審議官などを歴任した元キャリア官僚だ。祖先は中国大陸の福建(ふっけん)から台湾へ渡ってきた漢民族である。親族は伝統的な一族主義を貫き、大事にする社会規範や価値観は「儒(じゅ)」の色が濃い。 明正は、日本統治時代に生まれ、9歳で終戦。中国国民党が乗り込んできた台湾で中学・高校に通ったが、1953(昭和28)年一家で日本へ。東京大学を卒業し文部省へ入省、退官後は大学学長も務めた。 日本語はもちろん、中国語(普通話)、台湾(閩南)語、英語に堪能である。国籍は日本→中華民国→日本へ。名前は黄明正→光田明正へと変わったが、男は「僕はずっと『日本人』だった」という。
マーベル・スタジオの新たなヒーロー映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』が、とくにアメリカで、当初の予想を超えるヒットを記録している。マーベル・コミックのカンフー・ヒーロー作品を原作とした本作の特徴は、アジア系に占められたキャスト陣とスタッフ、そして中国文化を中心に置いたストーリーだ。この新しい試みが想像以上の成功を収めた理由は、いったい何だったのだろうか。 近年、作品によって多様性を強調するメッセージを打ち出すことの多くなったアメリカ映画界において、その第一線にあるといえるのが、ディズニーであり、マーベル・スタジオであろう。これらの作品が目立つのは、莫大な製作費をかけた娯楽大作のなかで、そういったメッセージを色濃く発信しているという点だ。アフリカ系のキャストで固められた、これまでに類を見なかった超大作『ブラックパンサー』(2018年)が大きな成功を収めたように、常識を打ち破る試みが、
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