ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/nojima (3)

  • なぜ「台湾のなかの日本」が映画になるのか

    <「台湾のなかの日」と「日のなかの台湾」が最近、日台湾のドキュメンタリー映画で1つのトレンドになっている。台湾と日でヒットした『湾生回家』などに続き、酒井充子監督『台湾萬歲』、黄インイク監督『海の彼方』がこの夏、順次日でも公開される> 最近、日台湾のドキュメンタリー映画には、はっきりした1つのトレンドがある。それは「台湾のなかの日」や「日のなかの台湾」を発掘する作品が増えていることである。 7月22日から都内などで公開される酒井充子監督の『台湾萬歲』や、8月公開の台湾の黄インイク監督による『海の彼方』(原題:海的彼端)もまた、そんな「他者のなかにある自分」を取り上げようとした作品である。 発想としては、必ずしも意外性のあるテーマ選定とはいえない。だからこそなおさら撮り手のアイデア、視点、素材の選択が問われることになる。そして、両作はそのハードルをクリアしたクオリティの作

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    changpian
    changpian 2017/07/21
  • 改革開放の「真実」はどこにあるのか――閻連科『炸裂志』を読む

    <ノーベル文学賞に最も近いといわれる中国の作家、閻連科(えんれんか)の新刊小説『炸裂志』。「毒」を込めて醜悪な人間の営みを展開し、改革開放という時代の是非を描き出す> (写真:インタビューに答える閻連科) 文学というのは、底意地が悪いものである。だが、そうではなくては文学ではない。中国の作家、閻連科(えんれんか)による新刊小説『炸裂志』(泉京鹿訳、河出書房新社)には、どこか日向ぼっこのような昨今の日文学からすれば、考えられないほどの「毒」が込められている。だが、それは悪意によるものではなく、改革開放という時代の是非を描き出すことで、中国社会の覚醒に期待を寄せる一人の作家の「気概」を伝えるものである。 この作品は巨大な寓話だ。登場人物たちは架空であるが、すべていまの中国に生きる中国人たちを表象している。このを読んだ中国人には、こう思う人間がいるはずだ。「ああ、これは私のことを語っている」

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    changpian 2017/01/15
  • 台湾映画『太陽の子』と、台湾の「奪われた者」たち

    台湾の東海岸にある集落で大型ホテルの開発計画が持ち上がると、台北で記者として働いていた先住民アミ族の主人公は、仕事を辞めて家族の待つ故郷に戻り、先祖伝来の土地で稲作を復活させるために......。筆者が日での上映プロジェクトに関わる台湾映画『太陽の子』は、「奪われた側」が「奪われたもの」を取り戻そうとする物語。聴衆に訴えかける異様な説得力を持つこの映画には、台湾政治の核心にも通じるテーマが隠されている> 宜蘭から花蓮を経て台東に至る、全長500キロに達する台湾の東海岸には、台北や台南、高雄などの西海岸とはひと味違った空気が漂っている。 それが何であるのか形容するのは難しいのだが、あえて言えば「明るさ」と「寂しさ」の入り交じった空気なのである。 日では日海側のことを「裏日」と呼んできた。最近はさすがに使われることは少ないが、太平洋側を「表」とする価値観をもとに、日海側の「暗さ」や

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    changpian 2016/08/20
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