バングラ独立と池袋西口公園(上) 2006年10月15日05時44分 / 提供:PJ 写真拡大 左)ボンゴボンドゥ(シェイク・ムジブル・ラーマン)の墓。通常は撮影禁止だ。右)ボンゴボンドゥのポスターはバングラデシュの至る所で見ることが出来る。(撮影:山本宏樹) 【PJ 2006年10月15日】− バングラデシュで最も有名で人気の有名人は「ボンゴボンドゥ」だろう。ボンゴボンドゥ(=ベンガルの友)はバングラデシュ独立戦争で先頭に立った人物で、初代バングラデシュ首相、後に初代大統領となる、シェイク・ムジブル・ラーマンの愛称である。 バングラデシュにいると彼らの強い愛国心、ボンゴボンドゥに対する強い敬意の念を感じざるを得ない。学校の朝礼では国旗掲揚と国歌斉唱は欠かせない。街には国旗や、それを模したデザインが溢れている。独立戦争で戦った「フリーダム・ファイター」たちの銅像や、ボンゴボンドゥの写真
バングラ独立と池袋西口公園(下) 2006年10月15日05時50分 / 提供:PJ 写真拡大 左)バングラデシュでショヒド・ミナールはあらゆるところで見ることが出来る。テクナフで。右)池袋西口公園におくられたショヒド・ミナール。5月20日撮影。(撮影:山本宏樹) 【PJ 2006年10月15日】− ショヒド・ミナール (上)からのつづき。ダッカ大学の構内には有名なモニュメントがある。1952年2月21日、言語運動の最中、ダッカ大学の医学部前の広場でデモ行進があった。パキスタン政府軍は学生たちに銃口を向け発砲。4人の命が奪われた。4人の死は言語運動が更に加速する要因となる。 政府はこの場が運動の中心地になることを恐れ、この場にモスクを建築するも、この事件を契機に言語運動は知識層の運動から全国規模への大衆運動へと拡大することになる。バングラデシュ独立後、モスクは破壊され、追悼碑「ショヒド
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