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哲学に関するcharliecgoのブックマーク (7)

  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい いささか口の悪い悪童(=物理学者)と達人の尊師(=科学哲学者)が重層的にすれちがう.全編を通じて科学者と科学哲学者との長い「対話」が続くのだが,相対しつつも目線がちがう方向を向いていて,なお言葉が絡みあうフシギな流れが楽しめる.科学者と科学哲学者が「いかに対話できるか」ではなく,「いかにすれちがえるか」が実感できる. おそらく「科学」というグローバルな総称ではひとくくりにできないほど,個々のローカルな「科学」および「科学者」のバックグラ

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
    charliecgo
    charliecgo 2013/07/19
    確かに大昔に読んだ生物系統学の教科書では形而上学の項目があったなあ。/あの本は面白かったが、須藤氏の脳科学方面への偏見はちょっとあれだった(リベットの実験を切り捨てるなど)。
  • 議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂

    ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ最後の共著であり、その思想の総決算とも呼ぶべき『哲学とは何か』(1991)は、タイトルが示すとおり、「そもそも、ドゥルーズとガタリは哲学をどのように捉えていたのか」について教えてくれる。一言で言うとすれば、彼らにとって哲学とは「概念(コンセプト)を創造すること」らしい。《こうして結局、かの問は、すなわち哲学についての問は、そこで概念と創造が互いに関係しあう特異点なのである》(23p)。ここで当然疑問に思うのは、ではその概念とはどのようなものか、ということだ。彼らの説明を順に追っていこう。 ひとつの概念とは、それ自体が概念となりうるような不可分の合成要素群から構成された「集積点」のようなものである。それは物体や身体ではないし、論理学的な命題でもないとドゥルーズ+ガタリは言う。彼らが挙げているデカルトのコギト、すなわち「我思う、ゆえに我あり」の例を見てみよ

    議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂
    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    それは別に構わんのだが、そういう人が科学に越境してくるとファッショナブルなものになってしまうことがわかっている。
  • 「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。

    ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想 作者: ニコラス・ハンフリー,柴田裕之出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2012/04/27メディア: 単行購入: 5人 クリック: 195回この商品を含むブログ (9件) を見る 第1章 目が覚めるとはどういうことか たぶん、あなたが目を覚ましてから、まだ一日とたっていないはずだ。目が覚めたのは、今朝、日がまた昇ってまもなくのことだろう。あなたにとって、目が覚めるというのは、どのようなことだったか? 覚えているだろうか? 牛乳瓶がぶつかり合う音、シーツの感触、青い空……。あなたは目をこすり、伸びをする。すると、いつのまにか、感覚の波があなたの存在という湖を再び満たしている。あなたは主観的現在の中に再登場する。あなたは再び、自分が生きていると感じる。 これは、なにもあなただけのことではない。きょう、この地球上で無数の人間に同じようなことが

    「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。
    charliecgo
    charliecgo 2012/06/24
    まあそうなんだけど、哲学者の中には物理現象の結果としての意識、という考えを懐疑する人もいるからね。
  • 科学とパラダイムのジグソーパズル - 赤の女王とお茶を

    どうもはてなでは定期的に科学論が勃興するみたいで、らしいなあと思いつつ、せっかくなんだからぐるぐる回るのではなく、らせん状でもいいので前進できればな、と希望的観測を掲げてみます。 ところで科学論の中で進化論と双璧をなす誤解の二大巨頭といえば、トマス・クーンに端をなす「パラダイム論」でしょう。 たとえば日の某批評家EAST氏は自称科学哲学出身らしいですが、このパラダイム論の典型的誤用である「何でも都合よく相対化ポストモダ〜ン」で突っ走っているようで、最近は見ていて痛々しいですね。 またEAST氏に限らず、科学批判や相対化の際にもっともよく使われる(そして間違えられる)議論だといってよいでしょう。 では来的なパラダイム論はどのようなものであるか? 科学をパラダイムで捉えるとはどういうことか。 簡単にですが解説してみましょう。 まず、こちらによると クーンによれば、パラダイムとは次の2つの特

    科学とパラダイムのジグソーパズル - 赤の女王とお茶を
    charliecgo
    charliecgo 2011/10/10
    昔京都にはEASTというライブハウスがあってだな…。
  • 地下猫氏とinfoblogaのやりとり

    地下 @tikani_nemuru_M @infobloga 「私たち一般のネット民が、今さら「科学の立場からの」批判をすることに意味があるようには思えません」とお書きですね。これを見て、科学の方法論がどういうものであるかを理解されていないのではないかと判断しました。科学の方法論とは、事実を拠り所にする方法論なのですよ mah @infobloga @tikani_nemuru_M それと何も矛盾しないと思いますが…。そういう視点と別の視点の両方を取れるというのが文の趣旨だったはずです。当に読んで書いてます?RT 科学の方法論とは、事実を拠り所にする方法論なのですよ

    地下猫氏とinfoblogaのやりとり
    charliecgo
    charliecgo 2010/08/30
    強い相対主義と科学の折り合いは極めて悪い。
  • 哲学の話と自分はなぜ NAIST を受験することにしたか - 武蔵野日記

    土曜日の「日酒を愛でる会」で yasuhiro-r くんと yuta-h くんと哲学の話をしたのだが、自分にとってはだいぶ昔の話のようで、確かにこういう問題をいつも考えていたころもあったな、と思ったり。 自分は中学生のころから哲学書を読むのは好きだったし、そういうのをまとめて解説したりするのは自分でも得意かなと思っていたのだけど、哲学するってのは哲学のを読むことではなく、自分の頭で自分にとって重要な問題を徹底的に考えることなんだな、と気がついてから、そもそもそういう重要な問題があるわけでもないのに哲学青年を気取って哲学書を読むことを恥じ、それからしばらく遠のいたのであった。 そういう意味では自分のターニングポイントになったは 哲学の教科書 (講談社学術文庫) 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2001/04/10メディア: 文庫購入: 15人 クリック: 228回こ

    哲学の話と自分はなぜ NAIST を受験することにしたか - 武蔵野日記
    charliecgo
    charliecgo 2010/05/31
    同意。/猫猫先生は哲学青年をこじらせてしまったのですね。
  • スワンプマン・ジョンの意識

    HA @AmHdt 「水槽のなかの脳」という思考実験があるけど,あの脳は正常に機能しないんじゃないかと最近になって思うようになった.もちろん検証不可能なんだけど,身体や他の神経系を離れては脳は活きていけないのではないか? 2010-02-16 14:30:46 @boy_smith @AmiHide では、脳が身体や神経系とすべて繋がった状態で脳を取り出し、水槽の中に入れてみてはどうでしょうか? 私自身は脳にとって身体が必要だという理由はよく分かりません. そもそも脳すら必要なのか分からないです笑. 2010-02-16 14:36:26

    スワンプマン・ジョンの意識
    charliecgo
    charliecgo 2010/02/17
    申し訳ないが、こういう話は不毛です。
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